なぜなのかよりもどうするか

 東日本大震災から丸7年となりました。私にはどうしてもぬぐい去れない思いがありあした。それは、「神様はどうしてこのような震災を起こされたのだろうか、許されたのだろうか」という思いです。それは、自然災害が起こる度に思うのです。その後も、広島土砂災害や熊本地震など大きな災害が幾度か起こりました。問うてもわからないこと、それは神様の御手にあることとそれなりに納得させてはきましたが、心のどこかにつっかかってはいたのです。

 それを「こうだ」と言う人たちがいます。これは神様の罰だとか、あるいは警告だと言うの人がいました。これが普通の雨風くらいだったら、私たちは問いはしません。日常の出来事の一つだからです。ところが、その程度が大きく被害が大きいと急に問いかけたくなるのです。

 先日、なるほどと思うことばに出会いました。「これは自然現象です。」なるほどと腑に落ちました。言われてみれば、「天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。」(マタイ5:45)と主イエス様も言われました。地震も津波も度々起こってきました。地球がそのようなメカニズムを持っているのは、それでバランス取るようにと作られているからです。

 むしろ、起こることは不思議じゃない。それよりもむしろ、そのときどうするのかということが大切なのだと改めて思いを新たにしたのです。日々、何を大切に生きているのかが改めて問われる。本当に必要なもの、なくてはならないもの、なくてよいものが問われる。心の向きがどこにむかっていたのかが問われる。そして、今、何をするべきなのか。これから何をしていくべきなのか。もう一度、それぞれに問いかけてみましょう。