ひとつのことに打ち込む幸い

 息子が六年生になり、六年間過ごしたスポ少を卒団しました。かつて野球やスポーツを始めるのはたいてい小学校高学年からと相場が決まっていましたが、今は少子化で人数が足らないスポ少は低学年からメンバーに入る子も少なくありません。それでも、体力的に高学年の子たちについて行くことができません。無理がかかって怪我も多い。そんな中でよく頑張ったなと思います。

 好きなことに出会い、一生懸命にひとつのことに打ち込むことができるとは素晴らしい神からの賜物であると思うのです。人生、その出会いを与えられなければ決してすることのないことなど山ほどあるのですから。

 ひとつのことに打ち込むことで養われることの一つは忍耐と根気強さ、あきらめない心でしょう。うまくいかないことがあります。どうしても乗り越えなければならない壁にぶち当たります。うまくいってもいかなくてもやり続けます。工夫を凝らします。悔しい思いに涙し、ときにそのことで頭がいっぱいになるような経験をします。そしていつの間にか乗り越えていたというプロセスから多くを学ぶことでしょう。

 また、ひとつのことに打ち込むならば、そこで練られた深みは、他のことへも広がる幅を持ちます。専門バカということばもありますが、本物は違います。打ち込んで学んだことは必ずしや視野を広げ、他のことにも応用が利いて用いられるものです。今打ち込んでいることが将来どのように役立つかなどと子どものうちに問う必要などありません。必ずよい肥やしになるのです。

 神様は私たちにさまざまな出会いを与え、機会を与えて私たちをご自身のご計画のために用いようととしておられます。主から与えられた「好き」やチャンスを精一杯やってみようではありませんか。