まさか、病院にかかれないなんて

 コロナの第5波、これまでの波をはるかに越える勢いで感染者が増加し、医療態勢の逼迫が続いています。通常であれば、救急車で運ばれて救急対応できた患者が病院にかかれない。そして、それはコロナの患者だけではなく、他の病気であったとしてもです。病院は受け入れる病床も確保できず、また、救急で受け入れた患者には、コロナ対策のための様々な検査などで時間がかかります。
 私は救急車に乗ったのは一度だけ、大けがをしたときですが、救急車が来るまで全く痛みを感じませんでした。気持ちが張り詰めて痛みを遮断すると聞いたことがあります。救急車に乗った途端、ホッとした、これでどうにかしていただけるという安堵感でしょう、激しい痛みが襲ってきました。そして、怪我をした手を救急隊員が支えてくれたことがなんと心強かったことか。今でも忘れることができません。自分ではどうにもならないことをお任せできるという安心感ほど、心強いことはありません。
 ところが、それが揺らいでいます。搬送先が見つからない。いや、そもそも、苦しくて苦しくてどうしようもないのに、様子を見てくださいと言われ、この後どうなってしまうのかという不安や恐れを抱えたまま、誰とも会えずに一人過ごさなければならない人が大勢いるのです。そして、それは人ゴトではありません。身近に迫って、誰がそうなってもおかしくない状況です。そして、その時は「まさか、自分が」となるのです。
 私たちに明日はわかりません。安心安全、そこに保証など一つもありません。「どんなときにも、主がともにいてくださることの支えを握りしめ、隣人に愛と感謝を伝えて今日を生きる」それを日々新たに繰り返して行きたいと思います。すべてのものを、そして、いのちさえ失ったとしても、確固たる確信と感謝、そして永遠のいのちを私たちはもっているのですから。