アドベントを迎える心

 アドベント(待降節)とは「到来」という意味で、キリストがこの世に救い主としてお生まれになった初臨と、復活の後、昇天したキリストが再び来られる再臨の両方を指して使われることばです。

 私たちは近視眼的で、目の前のことしか見ることができませんし、考えることができません。しかし聖書を通して私たちに知らされていることは、今の不完全な、罪と悩みと痛み苦しみのある今の世はさばかれて、キリストの再臨とともに全く新しい天と地に入れられるという希望、救いの完成です。代々のキリスト者はこれを待ち望んで地上を生きました。

 ですからアドベントは単にクリスマスの祝いを喜びを指折り数えて待つ時ではなく、主の下さった救いを喜び、救いの完成を仰ぎ見て、身を慎み、キリストとお会いするにふさわしくきよめてささげるべき時なのです。

 キリストの公生涯の前には、バプテスマのヨハネが人々の心を備えました。彼が語ったメッセージは「悔い改めよ。天の国が近づいた」ということでした。ごく単純なメッセージです。人々はもう一度神に立ち返ろうと彼のもとに行ってバプテスマを受けました。もう一度自分の心を探ってみましょう。本当にキリストにお会いするにふさわしく整えられていますか。まだきよめられていないことはないでしょうか。赦しをいただいていないことがありはしませんか。アドベントのとき、きよめ備えましょう。

 キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。ヘブル9:28(2007.11.25再掲)