エピファニー(顕現日)

 もし、あなたがたが善に熱心であるなら、(1ペテロ3:13)のみことばを学んだ昨年、キリストの花嫁としての「あいうえお」という話をしました。「おっ」と驚く新鮮さを保つ。それは教会暦の様々な祝祭、その度、新たな励ましをいただいて思いを新たにすることだとお奨めをさせていただきました。

 正月六日はエピファニー(顕現日)です。「エピファネイア」、それはギリシャ・ローア世界で皇帝・君主が領内の町を公式訪問することを意味していました。日本で言えば新春の一般参賀でしょうか。これを王の王である主イエスが公に現されたことに転用しました。一月六日というのは、古来エジプトで冬至祭を行い、太陽を拝んでいたものを義の太陽であるイエスの公現に当てはめ、三世紀頃から広く祝われるようになりました。

 公現祭は最初、キリスト降誕の祝日として祝われるようになったのですが、それが西方教会では十二月二十五日が降誕日として祝われるようになると、東方の博士による礼拝の祝日とされ、また、イエスの洗礼とカナの婚礼の奇跡も合わせて記念されるようになりました。今でもカトリック教会や聖公会では伝統的に祝われていますし、東方教会では主の洗礼日として神現祭という名で祝われています。プロテスタント教会では特別に祝ってはいません。キリストの降誕をエピファニーとしてクリスマスに共に祝っているからです。

 アドベントは神の救いのご計画とその恵みを待ち望み、受け取るべきことに重きが置かれています。一方でエピファニーはこの救い主が現れてくださったことにどう応答するのか。新年明けて、新しい気持ちでスタートする。それが単に年の区切りということだけではなく、キリストが私たちの前に現れ、今、招きをしてくださっている。それにどうお応えするのか。問うてみたいと思うのです。