キリストのからだである教会

 「教会は、キリストをかしらとするからだとして一つである。この祝福された事実は地上の教会のいとなみの中で告白され、証言されなければならない。」

 これは日本福音キリスト教会連合(JECA)の規約前文にある教会連合の理念です。救いの完成のとき、「時がついに満ちて…いっさいのものがキリストにあって、天にあるもの地にあるものがこの方にあって、一つに集められるのです。」(エペソ1:10)とあるように、救われたすべての者はキリストの名のもとの一つに集められます。その時、男も女も、老いも若きも、国境を越えて、民族を越えて、すべての壁は取り払われて一つとされるのが主の約束です。

 罪ある人間は、一つになろうとするときにいつもバベルの塔を建てようとします。神抜きに一つとなろうとするとき、必ずそこには無理矢理一つにしようとする暴力が働き、弱い者が虐げられ、強い者が支配します。それが世の常です。

 一方、私たちは、その中から救い出されてきました。平和をつくる神の子として選ばれているのです。しかし、この地上で私たちは残念ながらまだ、完全に一つになってはいません。今年の年間聖句のように、「喜ぶ者とともに喜び、泣く者とともに泣く」歩み、一つとなる歩みをしたいと願いながらも、御国に行くまではいつも途上です。

 しかし、これを告白し、そうあろうと導かれていることを忘れてはなりません。神は私たちに壁を取り払って一つからだの一部としてくださったからです。日頃、目の前のことで精一杯の私たちではありますが、キリストのからだは世界に通じるものであることを覚えましょう。そして、日々の教会の営みのなかで、世界大に一つである教会の一部であることを覚えて献げましょう。