ゴールのないマラソンは辛いけど

 先週は初めて原則的にインターネットを利用した礼拝をしました。普段、早天礼拝は私が司会をし、大きな声で賛美をリードし、朗読をし、説教をしています。約1時間声を出しっぱなしです。それが、カメラの向こうにいる方々にということで、それほど違和感なくできました。皆さんのご協力に感謝を申し上げます。
 さて、これは長期戦になるということの認識がようやく拡がってきました。緊急事態宣言はGW明けまでという期限ですが、そうは行かないだろうというのが世間の話。私は初めから長期戦で、「ここが正念場」などという言葉の使い方は馴染まないと感じていたのですが、先行きをハッキリと示せない政府は、余計な心配を煽ることを避けるためなのでしょう。小出しに小出しにしかことをしません。それも一国をリードする責任としては致し方ないのかもしれませんが。
 ゴールのないマラソン、これほど辛いものはありません。いや、誰も参加しないでしょう。42.195km、そのゴールがあるからこそ、ペース配分を考えながら走るのがランナーです。ところが、私たちは今それを強いられています。また、治療に当たる医療関係者はマラソンどころではない、全力疾走を繰り返すインターバルをしておられます。そして、逃げることもできないのです。せめて、先行きの見通し、たとえそれが1年先であっても示せれば、ペース配分を考えます。そして、すぐにとはいかなくても、そのための対応を少しずつできるでしょう。
 それもままならないのが今です。ここは長期戦だと気持ちを据えて、今日なすべきことを一つ一つとやっていきましょう。
 ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。(マタイ6:34)