ファミリーヒストリー

 私の父には兄弟がなく、10歳の時に疎開先の東仙台で母を亡くしました。祖父は戦後、転勤願いを出して、そこで家族揃ったのですが、父子家庭になって傷心で東京に戻ってきました。それを支えたのは親類たちです。とはいえ、私にとっては遠戚なのでこれまで付き合いがありませんでした。それが先週、お墓の相談で墓参りをして父の従兄弟(私の従兄弟違い)を訪ねました。

 私の一族は祖父の兄弟が大正末期に揃って信仰に導かれました。親類の名前もみなクリスチャンネームです。祈和(きわ)という美しい名前の親類がいることも知りました。そして、関東大震災で焼失した浅草のお寺から都営の多磨墓地に大正14年に改葬しました。その兄弟の長男民之助はホーリネスの伝道師になり、戦時中は迫害を受けました。その息子の悦夫(父の従兄弟)も、牧師として活躍しました。その叔父とは往き来があったのですが、他は会ったことがなかったのです。

 お訪ねした父の従兄弟は88歳、戦前は両国の教会、それが空襲で焼け、永福町の信徒の家で教会を再建し、その後、結婚した奥様の荻窪教会に転会して、ずっと教会生活を送ってきました。その弟は日基の稲城教会の信徒で、教会のホームページを見ると、会堂建設委員長として名が記されていました。

 帰り際、一族がこうして信仰に導かれ、戦前、戦中、戦後と守られ、信仰を継承している恵みを感謝して祈ったら、叔父は涙流して喜んでいました。自身は秋からガンを患い、抗がん剤治療を受けています。年齢からいっても長くはないと思っています。何が今の喜びかと言えば、天に帰る望みと、様々なところを通ってきて、父もまた、一族もみな信仰によって同じ希望をもっている。それだけです。なんと幸いなことかそして、それに続く者へとの祈りを噛みしめています。