ムードに流される日本人

 2月27日の朝日新聞のオピニオン。フィリピン人作家F.ショニール・ホセ氏のことば。

 「日本人は不可解な存在だ。変化に向けてムードが変わるとすべてを受け入れる。国民的雰囲気とでもいうか。しかも一夜にして変わることがある。常に理性に基づいて行動するわけではないことは41年の開戦で明らかだ。国粋主義的になれば危ない。第二次大戦の黒幕のような扇動者がでてきたら、簡単に説得されてしまうのではないか。平和を求める雰囲気が続くことを願う」

 氏の著作を読んだことはありませんし、名前を聞いたのも初めてです。しかしながら、このことばには納得させられたのです。どうして戦争を始めてしまったのか。それしか手段がなかったのか。なぜ国民は国家総動員ということばに扇動されて「欲しがりません勝つまでは」と耐え忍んだのか。

 人間というもの、後になって考えれば、外から物事を眺めてみれば、理に合わないことなどいくらでもあるのですが、当事者には見えなくなってしまうことしばしです。氏は日本人は…と語りますが、それは何も日本人だけではありません。旧約聖書の中で民が人が流されてきたもの、それらは全く同じ。世界中で起こる紛争や争いもまた同じ。それは人の性(さが)がなすもの。人を突き動かすのは、理性ではなく心、合理的な判断よりも雰囲気、集団を動かすのも、納得させられる説明や理解よりもその場のムード。ことの内容よりも人間関係。悲しいことにそれが公義よりも、誠実よりも上を行くのです。

 人の心は移ろいやすいもの。動くことがない神に向き直ることなくして、そのおことばである聖書のことばに聞き従うことなくして真の解決がないことを覚えさせられます。世にあって一歩下がって見る視点を常に持たせていただきたいものです。