ユーモアの大切さ

 コロナ禍で、誰かに会うこともままならず、どこかへ出かけることもできず、皆さん家で過ごしてらっしゃることでしょう。こういうときに大切なのはユーモアです。牧師たちの間で、「腕立て伏せチャレンジ」が流行っています。腕立て伏せをしている様子をビデオに撮って流し、次は誰とパスしていくのです。最初は筋肉バカ(失礼)な若い牧師たちのお遊びと微笑ましく見ていたのですが、自分にもパスが回ってきました。
 見ていると、若い牧師たちは逆立ちしてやったり、片腕でやったり、とにかくたくさんやったりしています。すると大先輩の70歳になろうかというM牧師が声だけ100まで威勢良く掛けて、「あっ、カメラをこっちに向けるの忘れちゃった」とか、壁に向けて、90度カメラを傾けて片腕でやったり。二本指でやりますなんて言いながら、バタッと倒れたり。4階建ての階段をウサギ跳びした後に腕立て伏せと言って、足しか撮さないとか…。
 私も考えて、「私は理系・文系なら工学系。役に立たないことはしません。プッシュアップなら、ジャッキアップが役に立つ」とジャッキアップしながら腕立て伏せをして、楽しみ仲間に加わりました。
 日常の小さなことにユーモアは欠かせません。味気ない日常に誰が塩味を効かせるか。周りを楽しませることを喜びとすることができるのか。そのためにおバカになれるのか。悲しみを喜びに、憂いを笑顔に変えるのに、大きなことは必要ありません。ほんの少しの心遣いでバカになればいいのです。ダビデも主の箱を運び上った時、裸で踊り、「主の民イスラエルの君主に任じられた主の前だ。私はその主の前で喜び踊るのだ。私はこれより、もっと卑しめられ、自分の目に卑しくなるだろう。しかし、あなたの言う、その女奴隷たちに敬われるのだ。」(2サムエル6:21-22)率先して主のため、周りのためにユーモアをと心がけたいと思います。