一致と自由と信頼

 「本質における一致、行動における自由、 あらゆることにおける信頼」という言葉と出会いました。アリストテレスに発し、初期キリスト教会の原則となった言葉だそうです。もっともアリストテレスは教会以前の人ですが、教会の本質を言い当てたふさわしい言葉であるように思います。

 本質における一致とは、私たちの信仰の土台、何を信じ、何を第一とするかという問題です。ここにブレがあっては決して何かを生み出すことはできません。私たち教会の主は常に十字架のイエス・キリストであり、救いと神のみこころを教える聖書に土台を置くのです。この点が不明確なままでは、いつまで経ってもことが進まないだけなく、問題が解決することもままなりません。

 行動となると、私たちは人にも自分にも制約を加えやすくなります。誰かに気兼ねし、顔色をうかがっているところでは心が卑屈になり、型にはまったことしか考えられなくなります。決して良いものは生まれません。子どものように恐れを知らない、失敗してもいいからやってみよう!という自由なところにこそ新しい発想が生まれ、それぞれの与えられたよいものが用いられ、伸ばされ、さらに成長するものです。

 あらゆることにおける信頼は最も難しいことの一つです。意見の違いは、本来自分にはない多様なものの見方や視点を補い合うために与えられた神の賜物です。互いを理解するためには時間がかかります。ときに違いがまるで自分を否定されたように感じるときさえあります。それを乗り越えるのは「本質において一致」している土台です。私たちは違いを乗り越えて、互いの信頼を築きたいと思います。そして、教会に与えられた使命、キリストにあって実を結ぶ教会とさせていただきたいのです。