世は移れど、変わらぬ御国を仰ぎ見る

 このコロナ禍の中、各国のリーダーたちはその政策に苦慮しながらこと動かしてこられました。みな待ったなしの緊急事態。その中での批判や迫り。どんな政策をとってもすべての人が満足できるような答えが見つかる訳ではない。大変な仕事をしてくださっていることに感謝を申し上げたいと思うのです。
 体調を崩してその責務を全うできなくなった安部首相、あるいは任期満了により再び選挙戦となっている米国。そのリーダーもまた世相と民意を反映します。一方で、その民意も一筋まとまっているわけではなく多数派の意見を通すわけですから、すべてが汲み上げられるわけではない。実に世をリードすることは困難なことだと思います。
 そして、忘れてはならないことは、それでもそれらのリーダーたちを、この世の秩序のために神がお許しになっておられるということです。また、私たち神の民は、それを超える神の国の王であるキリストが第一です。、救いの完成はこの世にあるのではなく、天の御国にあり、それを仰ぎ望み、この地上にも「神のみこころがなるように」と祈りつつ生きるようにいのちいただいているのです。
 確かに困難な時代です。しかし、それは過去にもあったこと、そして世は移りゆくものです。しかし、変わらぬ神の御国を仰ぎ見ることをいつも大切にしたいものです。

 わたしは裸の丘に川を開く。
 平地のただ中には泉を。
 荒野を水のある沢とし、
 砂漠の地を水の源とする。
わたしは荒野に、杉、アカシヤ、ミルトス、オリーブの木を植え、荒れ地に、もみの木、すずかけの木、檜をともに植える。
それは、主の手がこれを行い、 イスラエルの聖なる者がこれを創造したことを、 彼らが見て知り、心に留めて、ともに悟るためである。(イザヤ41:18-20)