人一人が救われる喜び

 先週、延ばし延ばしにしていた畑仕事、ようやく重い腰を持ち上げました。畑仕事の基本は土作り。よい土の条件は、1. 水はけがよく、2. 通気性がよく、3. 保水性がよく、4. 土壌酸度が適正で肥料分に富み、5. 病原菌や害虫が少ない土です。わかりやすく言えば、フカフカのきれいな土です。ほったらかしの畑は、土が固く締まり、根張りができず、水も養分も吸収することができません。

 夏野菜を片付けるのに一苦労。根を取り除き、雑草も抜き取ります。続いて鶏糞と石灰を撒き、耕耘機をかけます。固く締まった土はそのままでは小さな機械では刃が立たず、一旦スコップで土を起こさなければなりません。わずかな面積でも重労働です。堆肥や石灰を一緒に鋤込んで、土を作るまでが重労働です。ここまですれば、種まきや苗の植え付けは一瞬です。そして雨が降るか、水まきをすれば、自然と成長していきます。

 パウロは「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。」(1コリント3:6)と言うのですが、彼は、畑仕事をしたことがなかったのかもしれません(笑)。植えるより、水を注ぐより、その前の仕事が最も大変な仕事なのですから。いやむしろ、仕事の労苦の大小ではなく、どれも欠かすことのできない大切な役割であり、神のわざだということです。

 人が一人が救われるということは、大変なことだということを覚えたいのです。耕す人あり。種を撒く人あり、植える人あり、水を注ぐ人あり、天から雨を降らして下さる時があり、刈り込み、あるいは剪定する人あり、収穫する人あり、あるいはそれを労る人あり、喜ぶ人ある。それぞれがなくてはならない大切な務めです。共通するのは一人の人の救いの喜び、神のものとされることです。喜びをともにするため、祈り労しましょう。