反抗期と自立と葛藤と

 人の成長発達の過程で反抗期は二度来ると言われます。2~3歳頃の第一次反抗期と思春期の第二次反抗期です。最初のそれは自我の芽生えであり、自分でも覚えていない、なんでも「イヤ」、「自分で」と譲らない、親が忍耐を強いられる時期です。二回目のそれは自立への備え、親離れの始まりです。

 目に入れば常に激しい感情を露わにするような激しい反抗期を経た人もいれば、反抗期などなかったという人もいます。私は姉が激しい戦いをしていましたので、それを見て、「お姉ちゃんはバカだなぁ」と考え、心では反発を覚え、「べ~」っと、心の中で舌を出して過ごしてきました。一度だけ、母にものを投げた時があります。その時の母の悲しそうな顔はいまでも忘れることができません。あなたはどうだったでしょうか。

 さて、最近はその反抗期がなかったという中学生、若者が増えているといいます。人とぶつかるにはエネルギーがいります。いい子を演じていた方がラクです。ファミコンがお茶の間に入ってきてちょうど30年。向き合う相手が画面になり、互いに向き合うのではなく、同じ向きに並んで遊びます。自己主張をしなくても、向こうから何をするのか聞いてきます。そんなことと無関係ではないように思うのです。画面ではなくても、支配的な親の元での一方通行。あるいは逆の無関心。どこかに歪みがでることが少なくありません。

 からだは大人になっても、実は心の中ではそんな葛藤を覚えている若者は少なくありません。そればかりではありません。一生続くいのちの葛藤を繰り返す人もいます。神の御前のひとり立つ。これが大切なことではないでしょうか。あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。1ペテロ2:25