受難週を迎えて

 受難週、それは主イエス様が、最後の試みに遭われ、十字架の死を全うする、いのちを捨てる大きな悩みを受けられたことを覚える週です。それが誰のためであるのかを。

 最後の晩餐で弟子たちの足を洗います。それは何のためであったでしょうか。イエスは「わたしがあなたがたに何をしたか、わかりますか」と問いかけられます。

 ゲッセマネの園で苦しみもだえながら祈りをささげました。「どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください」と祈られた祈りのみ苦しみはどれほどだったでしょうか。

 ユダに裏切られ、捕らえられ、裁判にかけられます。不当な裁判が大祭司のもとで深夜に行われます。その夜、イエスについていったペテロの思いはどんなだったでしょうか。黙々と何もお答えにならないイエス。私であったら…顔を真っ赤にして言い返したであろうに。

 ピラトの前でもそうでした。ローマの役人である彼はことを穏便に済ませ、自分の地位を守ることしか考えていません。猛るユダヤ人が気が済むならと、手を洗って、関係を切り、見て見ぬふりを決め込みます。

 兵士たちをはじめとしてみなイエスを嘲弄し、着物を分け、バカ騒ぎをします。黙々と十字架に向かうイエスのみ苦しみはどれほどだったでしょうか。そして、十字架の上で、「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」と叫ばれた苦しみ。この世のすべての痛みと悩みをその身に背負い、そして、人の罪をその身に負い、神のさばきを身代わりとし受けてくださったのです。

 ああ、誰がため世に降りて、かくまで悩みを受け給える。涙も恵みに報いがたし、この身をささぐる他はあらじ(讃美歌138番)