地に平和を!主よ来たりませ!

 今年はリビア、チェニジア、エジプトと北アフリカ諸国に内戦・革命が起こった年でした。また、8年9カ月に及ぶイラク戦争に終結が宣言されました。それに先立つ同時多発テロ、アフガン戦争、湾岸戦争は1991年。その年にソ連が崩壊。先立つ1990年にベルリンの壁が崩されました。それから20年の間、世界はまた変わりました。平和を願う祈りを続けながら、人類は戦争を止めることができません。
 何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。ヤコブ4:1
 これが聖書が教える争いの原因です。国や民族という大きな集団は、それ自体が制御できない魔物のように大きくなって、「大義」のために止められなくなり、責任や事後を考えては後戻りができなくなります。
 一方、神がくださる平和はどのように、どこから始まるのでしょうか。クリスマス、世界の中で、覚えられることもないような小さな町の飼い葉桶に、これまた名も無い若い夫婦に委ねられて平和の君が生まれたのです。それがどれほど世界を変えるものであるか、十分には知らされないままに。
 そう、平和は小さなところから始まるのです。戦争がないというだけが平和ではないことを私たちは知っています。むしろ、身の周りの小さなところから、平和を造り出す神の子として生きることに招かれています。主よ来たりませ。私の心を導き、平和の使者として私をおつかわし下さい。私の心に赦す心、あわれみの心、広い心、愛する心を。主よ。来たりませ。そう祈ろうではありませんか。