地域社会の中で

 11月のこと、東京板橋の教会の牧師夫妻を訪ねました。前々からお訪ねしたいと願っていたところ、会議の晚、時間が空いてお訪ねしたのです。教会の様子をいろいろお伺いしたのですが、「え~、そんなことがあるんですかぁ」という話を聞きました。

 教会の隣のアパート、何やら異臭が漂い、ただならぬことに気づき、警察を呼んで確かめてみると孤独死の遺体。それは、3件目。別の日、「助けてぇ~」というか細い声が聞こえ、そこに向かうと、玄関のドアと玄関のすぐ脇にあるトイレのドアの間に挟まれて身動き取れずにいるおばあさん。救急を呼んだけれどどうにもならず、レスキュー隊が別の窓から入って救出。

 教会の周辺、そのような独居老人が多く、また、教会員も高齢者が多い。そんなことがご近所にあるけれど、個人情報という壁に阻まれて、どこにどんな人が住んでいるのか分からず、いかんともしがたいというのです。いったいこの社会はどうなっていくのか、そして、教会は何を主に期待され、何をなすべきなのだろうかと考えさせられているという話でした。

 ときおり、新聞で見るような話ですが、実際に身近にある話をお伺いすると現実味を帯びてきます。甲府でも、同じようなことが起こってもおかしくありません。山梨県の高齢者、65歳以上人口は238,459人で28.2%、そのうちひとり暮らし高齢者は50,180人でそのうちの五人に一人です。数字にしてしまうと現実味が薄れてしまいますが、辺りを見渡すとそれが現実です。身近な地域社会の中で教会が、私たちができることはなんでしょう。せめて雪が降る度に雪かきをしますが、声掛けて歩くことが始まりかなぁとも思います。キリストの愛をもって、いつも助けを必要とする人の助けになれるように。