壊れることは当たり前

 私は様々な修理をしますが、機械は必ず手入れが必要で、またヒューマンエラーが起こります。先日のこと、洗濯機の掃除をしました。分解して中の洗濯槽を外して水洗いするだけなのですが、台所のシンクの水切りや風呂場の排水口のような状態になっていますから、そこらで売っている洗濯槽洗浄剤なんてのでは取れないだろうなと思います。

 掃除を終えて、スッキリ!洗濯を始めてそんままにしておいたら、そこいら中が水浸しになっているではありませんか。大きなタオルで水を拭き取り、原因を探します。水漏れというのはやっかいです。その場所を突き止めるのが難しいからです。見ると排水パイプに大きな穴が空いていました。動かすときにパイプを擦って、穴を空けてしまったのです。パイプを交換して一件落着です。

 川内原発が再稼働しはじめました。原発の原理は決して複雑なわけではありません。核反応の熱で沸かした蒸気で羽を回す。やっかいなのはお湯が通る管にしてもどこにしても放射線があり、やたらと触れないばかりか、触れない箇所もあるというやっかいなものです。簡単にタオルで拭いて交換などとはいきません。みんなもう長いこと使っている機械です。まして想定外の事故…。機械など壊れることが当たり前。二重三重でも防ぎきれないことがあるのです。

 それをどうしても続けなければならないのか。はなはだ疑問です。まして、その影響の大きさたるや。それを見ていながら大丈夫と言い切れるでしょうか?もしもの時の避難計画も杜撰です。事故は海外でも起こっています。人間過信、技術過信がないだろうかと思うのです。私たちの社会はまたこれに限らず不安定なもろい上に立っている。神のあわれみによって保たれ、私たちも生かされていることを覚え、謙虚にならねばと思うのです。