大きなものほど精密なのです

 建造物は大きなものであればあるほど精密さが要求されます。明石海峡大橋の主塔は海面上約297mの高さがありますが、その建設は、大きなブロックを30段積み上げて作られています。一段の高さは約30m。そのブロックの合わせ面は狂いや隙間は許されず、顔が映るほど平滑に仕上げられたと言います。わずか1ミリの誤差でもそれが積み重なると大きく傾き立っていられなくなるからです。建設中のスカイツリーも同じでしょう。
 ソロモンが神殿を建設したとき、それはまったく同じでした。
 神殿は、建てるとき、石切り場で完全に仕上げられた石で建てられたので、工事中、槌や、斧、その他、鉄の道具の音は、いっさい神殿の中では聞かれなかった(1列王6:7)。
 パウロは私たちを聖霊の宮と呼びました。それがキリストのからだである教会をつくるのです。それぞれが切り出されてきたところはどこであったでしょうか。灼熱の砂漠か深海の底か、あるいは丁寧に掘り出されたのか転がっていたのが拾われてきたのか。いずれにせよ特別に選ばれて切り出されてきたのです。それも、キリストのからだに加えられるにあたっては、聖霊の取り扱いを受けて刻まれ、整えられ、キリストのからだである教会という素晴らしく大きなご栄光の目的のために寸分違わずはめ込まれたはずでした。そのことをいつも覚えていなくてはなりません。
 そして、その教会の交わりにおいては、その現場でがんがんと槌音響かせるべきではありません。おのおの聖霊のお取り扱いを受けて整えられるべきです。あなたのコンマ1ミリのズレが全体を揺るがすからです。そのためには設計図をしかとわきまえましょう。完成図、キリストの現れの日のあるべき姿から目を離さないでいようではありませんか。園姿に近づく整えを日々していきましょう。