安定か停滞か、不安か平安か

 5/16の朝日新聞のオピニオンにあった山下惣一氏(農民作家)のことば。「自然を相手にする農業は成長してはいけない。去年のように今年があり、今年のように来年があるのが一番いい。私たちはこれを安定といい、経済学者は停滞という。」

 農をすると、私たちは思うに任せないことを知ります。太陽も雨も、気温も季節も動かすことができません。ゴールデンウイーク明けに種まきをしたのですが、発芽したのは3割程度。暑すぎたのです。植物はそれぞれ種類に従って発芽する時期が決まっています。よく知られているのはチューリップで、冬の寒さにあたって春の暖かさで芽を出します。植えるのが遅すぎて寒さにあたらない球根は芽を出しません。みなそのリズムに従うのです。そして、どんなに技術改良をしも、その土地で作れる作物の量には限りがあります。

 一方で、世はいつの時代にも「もっともっと」と私たちをせき立てます。お金を出せば季節も何も飛び越えて何でも手に入るのかのごとくです。今の日本、本当に豊かになりました。私自身、その中に生きてきて当たり前だと思っていることが少なくないことを反省させられます。多くの人は成長したり、前進したりしないと不安なのです。愚かな農家の主人のたとえ話を思い起こします。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」(ルカ12:19)

 一方で次のみことばが思い起こされます。『金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、またあなたを捨てない。」』(ヘブル13:5)。大切なのは主が養い生かしてくださるという信仰です。それこそ私たちの平安の基なのです。