平和への祈り

 8月の記憶は敗戦です。72年という歳月は世代が入れ替わり、すでにその記憶は遠く、立ち消えそうな灯火のようです。どうにかして平和を守りたい。私たちはそう願います。一方でことその視点を世界に移すならば、この72年間というもの、戦争は絶え間なく世界のどこかで続いています。それは、国家間の戦争だけに留まらず、民族紛争やテロは止まることを知りません。

 飛行機などの交通手段、インターネットをはじめとする情報通信網、それらは世界を結びました。今や門戸を開いていない場所でない限り、世界中で行けない場所などありません。瞬時に情報は伝わります。伝えることもできるし、探すこともできます。しかし、その距離は一向に縮まることはなく、争い合うばかりです。また、新たに壁を作ろうという声も強く、また、それを支持する声もまた強くあります。そして、力には力、剣には剣。

 私たちは祈ります。そのように争い合う世界に平和が与えられるように。対話と理解がその隔てを埋めるように。赦しと和解が憎しみを乗り越えるように。国の世界のリーダーたち、その力を握る者たちが利益によって行動するのではなく、愛によって行動するように。秩序を保ち、世を治めることができるように。主よ。あわれみたまえと。

 そして、私にできることは何だろうかと問いかけるのです。「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるから」(マタイ5:9)というみことばに生きることです。主よ。世界の中ではちっぽけな私です。でも。ここに私を神の平和の使者としてお遣わし給えと祈るのです。そう祈る者の祈りと祈り、小さな行動が重なりあってこそ世に平和が与えられるのですから。そして、主よ。ここに来たり給え。真の平和を。御国が来ますように。そう祈ろうではありませんか。