平和を願う声

 先週の説教の中でお話ししたことですが、文字として記憶に留めていただきたいことばがあります。戦争直後の1945年11月に幣原喜重郎内閣により設置され、幣原自らが総裁を務めた大東亜戦争調査会での発言です。この調査会はGHQ占領下では日本人自らの調査議論が懸念されて翌年廃止され、公式な調査報告はなされないまま終わりました。しかし、その中で語られた議事録が2001年になってようやく閲覧できるようになりました。
 今日我々は、戦争放棄の宣言を掲ぐる大旗をかざして、国際政局の広漠なる野原を単独に進み行くのでありますけれども、世界は早晩、戦争の惨禍を自覚し、結局私共と同じ旗をかざして、はるか後方に着いてくる時代が現れるでありましょう。我々は、この際、戦争の原因及び実相を調査いたしまして、その結果を記録に遺し、もって後世国民を反省せしめ、納得せしうるに十分力あるものに致したいと思うのであります。(第1回調査会総会での幣原総裁のあいさつ)
 将来我々の子孫が戦争を考えないとも限らない。その時の参考に今回の資料が非常に役立つような調査をせなばならぬ。(同第2回総会での幣原総裁のあいさつの一部)
 残念ながら、その理念は公式に問われること叶いませんでしたが、憲法の中にその精神は残りました。しかし、残念ながら、この荒野を進みゆくことの道は険しく、この77年間世界で戦争は繰り返されています。
 戦争を巡る議論はキリスト者の間でも立場は一様ではなく、様々です。陸続きで戦争が起こっている国々や派兵をしている国々からすると島国であり、米軍の傘の下にいるからという議論もまたありましょう。しかしながら、知らないことが多く、過去を学んでいないというのが今の日本です。そして、いざというとき、流されてしまうというのが現実です。少しでも声を聞き取りたいと願うのです。