引越しと持ち物と

 今春、昭和町におられたのF先生をはじめとして、親しい牧師たちが何人か新しい地での奉仕を始めた。それぞれに人生お大きな区切りを付けた先生たちがおられる。みな、その引越しに持ち物の整理を迫られた。子どもたちがそれぞれ家を離れ、夫婦二人になったりすると必要なものはわずかになっていく。一番、小さな引越をした先生は、家財道具はみな処分して、夫婦二人、宅急便で送れる範囲に荷物をまとめたそうだ。

 人はみな物を買う。毎日使うものもあれば、季節に応じて使うものもある。一年に一回使うものもあり、また、数年に一回しか使わないものもある。なくてもどうにかなるものもあれば、なくてはならぬものもある。借りて済ますことができるものもあれば、そうでないものもある。

 また「使わない物」もある。コレクションを楽しみ、持つこと自体に意味を感じるようなものがある。それが心の支えであったり、いやしであったり、一方でそれが自慢や誇りになるようなものまで。それが露骨だととてもいやしく感じるものだ。また、物と記憶とは結びついている。あの時にあの場所で買って来た思い出の品。旅の思い出や、人との関係、祝いや記念の品もある。逆に物から自由に生きたいと必要最小限しか持たないミニマリストなんて人たちもいる。

 火事や災害があれば、一夜で失ってしまうような物たち。だけどいつのまにかそれに縛られて溜まりに溜まる。引越すると、そのいるいらないを迫られる。かく言う私の部屋、雑然といろいろなものが溢れています。時に捨てるのですが、また増えていく。また捨てる。たぶん、これからもその繰り返しをしながら、せめて、周りに迷惑かけないように、また、物に縛られず、大切なことをちゃんと見極められるようにしたいと思うものです。