心を、思いを、知性を、力を尽くして

心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』マルコ12:30

 このみことばがちょっと気になって調べてみました。心と思いと知性と力。どう使い分けられ、何が違うのでしょう。旧約聖書では「心と精神を尽くして」と二つだけが並べられています。他の聖書の訳を見比べてみると「心と力」は同じ言葉に訳されていますが、「思いと精神、知性」はどっちとつかずに訳されています。また、聖書の言葉遣いは一つのことを言葉重ねて表現する「並行法」という使い回しが多用されています。ですから、厳密に分けることに意味があるわけでもありません。

 日本語の言葉も思いと心と精神、知性や思考はどこか半分重なり合っていますし、英語でもmindとheart, understandingやthoughtというような言葉はニュアンスが少しずつ違いながらも共通する意味を持っています。

 実際の私たちもどこからどこまでが知性であるいは頭で理解したことなのか、どこからどこまでが思いや気持ちがすっきりと納得したことなのかあいまいです。「わかってるなら態度と行動で示せ。表に表れないことはわかっていないと同じだ」などと言ったりしますが、実際のところこれまた切り離すことが難しいものです。

 それでもことばを尽くしてわかりやすく表現するなら、私たちは心で感じ、思いに動かされ、知性で考え、力で行動するものです。そして、逆もまた真なり。とにかく自分を従わせて行動してみたら、思いも変わり、知性も納得し、心が「よかった」と思えるようになる。そんなことも少なくありません。

 大切なことは神を愛すること、それに焦点を当て続ける。それが「尽くす」ことではないでしょうか。さあ、あなたはどうですか。