愛するための一工夫

 先日H兄が教会に訪ねてくださってゆっくりお交わりをしていました。「こんな時間になっちゃたね、家に電話いれておくよ」と取り出した携帯電話。なにげなく目に入ったアドレス帳を見てビックリです。奥様の名前のところ、「愛する○○」と登録されているではありませんか。そればかりではありません。家族の名前がみんな「愛する○○」と続いています。

 「これはすごい。素晴らしいですね」と言うと、「当たり前じゃないですか。先生がそう言ったんです」と言うのです。私にはさっぱり覚えがありません。伺うと、最も身近な妻を愛することそれが一番大切なこと。最も身近な家族から愛は始まるんだと教えているじゃないかと仰るのです。

 なるほどと思って、私も見習って同じようにしてみました。すると何が起こるでしょうか。電話がかかってくる度に「愛する○○」と大きく表示されます。電話を掛ける度に「愛する○○」とボタンを押します。必ず「愛する○○」と意識が働きます。今、手が離せないんだよなぁと思っていても、めんどくさいなぁと思っても、ちょっと腹立たしい思いを心に抱えていても逃げようがなく、必ずそれを思い起こさざるを得ないのです。

 覚えるべきは、自分の愛の不足です。一歩立ち止まり、「主よ」と祈ります。わずかな一呼吸、主の御前に心整えて「愛することさせてください」と祈ります。ほんのささいなこと、数秒のことですが、それを繰り返すうちに愛の訓練をいただきます。私たちは日々追われるようにしてゆとりがありません。そうすると心がギスギスしてくるのです。愛に近道はありません。たった数秒のこと、ささいな小さなことの積み重ね、それが愛する道です。一工夫を加え、神の愛をいただいて愛の人に成長させていただきましょう。