成長に感激、そして祈り

 先週、中関東地区の聖会が行われました。講師のメッセージも感謝なことでしたが、青年たちの成長に感激しました。

 何人か、古くから知っている青年たちがいましたが、会うのが初めてだと思った青年たちが、「先生のメッセージ覚えています」と言うのです。聞くと、中部地区の中高生キャンプに招かれて奉仕したときに中学生だったそうです。ほとんど記憶に残っていないのですが、彼らはよく覚えていました。そして言うのです。「あの頃は反抗期真っ盛りだったからなぁ」と。

 一人は牧師の息子です。家でも親、教会でも牧師は親。クリスチャンホームも同じでしょう。親のクリスチャンとしての生き方、信仰生活、大人の言動には批判的です。一方で、中高生時代のとって影響を与えるのは親より同世代やお兄さん、お姉さん世代。親の価値観や考え、それに批判的に反抗しながら自我を形成する大切な時期だからです。

 その彼らも信仰生活が確立したのは親元離れた生活をするようになってから。そう、自分の足で立つ生活とともに信仰も成長してきたのです。私たちの教会の青年たちも一人一人、そのようなところを通ってきました。親元離れて甲府で信仰生活を送った大学生が4年経つと、頼りなげだったのが成長したなぁとつくづく思います。そして、私自身もそうだったことを思い返します。

 中高生の多感な時期、一方、すでに自分でものを考え、自立していく時期。周りのできることは、暖かく見守ること、声を掛け続けること、そして、何よりも祈り続けることではないかと思うのです。主の時はそれぞれに違います。神の時、その時が来るならば、必ずしやその恵みを見ることができる。それを待ち望みつつ、忍耐をもって祈り続けたい。そう願わされました。