戦争犯罪?戦争自体は?

 ウクライナの戦争が長引く中、戦争犯罪と呼ばれることばが流れてくるようになりました。戦争犯罪とは捕虜の虐待を禁じた「ジュネーブ条約」や非人道的兵器の使用を禁じた「ハーグ陸戦条約」から始まり、国際条約として降伏者の殺傷、禁止兵器の使用、侵略戦争や国際法に違反する戦争に関する罪(平和に対する罪)、一般民衆に対する大量殺人・迫害など人道に反する行為の罪(人道に対する罪)が加えられました。
 今、ウクライナの戦争で私たちが目にするのは、一般民衆にたするす人道に対する罪、それが最も大きなトピックでしょう。他にも禁止兵器であるクラスター爆弾の使用、あるいはそもそもロシアの攻撃が侵略戦争に当たるのかなどが取り沙汰されています。
 ひとたび戦争が起こると、戦争犯罪は必ず起こります。それが故意なのかどうかなどということを通り越すようなことが起こるのです。軍事目標から逸れた誤爆なども耳に入ります。かつて、日本への爆撃も最初は軍事拠点でしたが、次第にそれは無差別になりました。戦勝国にとってはそれは戦争終結のための最小限の犠牲という大義として語られます。原爆すらそうなのです。必ずエスカレートします。そもそも戦争には必ず、「殺し合い、つぶし合い」という力の論理が入ってきます。ウクライナ戦争は「自衛のための戦争」は必然だという世論をかき立てています。
 「戦争をしない国」、それが憲法9条を素直に読んだ内容でしょう。「解釈」を加え、さらには改憲へと向かう動きが強く働く中、この国がかつて犯した過ち、与えた傷、受けた傷、それが忘れられないことを祈るものです。世界をめぐる国際関係はグローバル化と呼ばれるようにより密接に、より複雑に絡み合うようになりました。思惑が見え隠れするその世界の中にあって、「戦争をしない国」を守り続けることができるように、それが世界にも及ぶようにと祈りたいと思います。