手の中に宝を持っている

 新年度の計画を立てる時期になりました。ところがコロナの見通しもまだ立たない中、どのように計画を立てたらいいのか、悩ましく思います。それは社会全体がそうです。昨年の今頃まで、教会連合の会議で代々木のオリンピックセンターをよく使っていました。するとオリンピックのボランティアの準備がほぼ毎日行われて、講習などが行われ、着々と準備が進んでいました。ところがそのすべてがストップ。
 少しずつ準備も進めることもできない中、オリンピックなどできるのでしょうか。海外から選手や応援、観客を迎え入れることができるんでしょうか。準備に関わるデッドラインをいくつか決めて、プランA, プランB,プランCと用意がされているのでしょうか。それもすべてが流動的、徒労に終わりそうに思えます。関わった人たちというか、その役を引き受けざるを得ない人たちの労苦を思うと残念というか、そもそもモチベーションもわかない仕事になるでしょう。
 では、教会はどうするべきか。状況に応じて柔軟に対応すること、その心備えが今できることなんだろうと思います。そして、教会にとって、命である礼拝をどんなかたちであっても忠実に守っていくこと、兄弟姉妹が励まし合い、祈り合う交わりを続けていくこと。そして、祈りつつ神の時を待つこと。今できることを続けて行きたいと思うのです。
 今、願っても手に入らないならば、手の中にあるものを大切にしなければなりません。いやむしろ、今、手の中にあるものが大切な宝であること、神様がくださっている恵みを数えたいと思うのです。代々の教会はそれを告白しつつ歩んで来たのですから。
 望みも消え行くまでに世の嵐に悩むとき、数えてみよ主の恵み、汝が心は安きを得ん
 数えよ主の恵み 数えよ主の恵み
数えよ一つずつ 数えてみよ主の恵み」
(新聖歌172番)