手当たり次第何でも

 修養会では、藤本先生を通してサウルの生涯から学びました。神の霊が注がれたとき、彼は新しい人に変えられ、手当たり次第何でもしなさいと言われます。第一のしるしは彼は預言をしたときです。いわばペンテコステのときのように、特別な預言というしるしと力強い主の臨在を経験するのです。しかし、彼はなおも恐れます。第二のしるしはアモン人の王ナハシュに勝利したときです。今度は王権が確立しました。

 手当たり次第何でもということが気になって、よくよく考えてみました。手当たり次第何でもということは、自分の思い通りと紙一重です。自分の思い通りを選んだのは、アダムです。そこには、思い通りではなく、神を喜び、神に従うという一つの制約があってのことでした。しかし、彼は「神のようになる」ー思い通りになる誘惑に屈しました。

 ただ一点、常に「神があなたとともにおられる」ことをわきまえるなら、私たちは手当たり次第にチャレンジしてみることが大切のように思うのです。祈っていればそのうちことが前進するでしょうか。棚からぼた餅のように降ってくるのを待つのでしょうか。それも否定はしませんが、待っているだけでは何も生まれません。自由にチャレンジするべく主は私たちに期待をしておられるのではないでしょうか。

 失敗を恐れて、チャレンジしないこと。主がともにおられることを信じ切らない不信仰が私のうちにもあることが示されました。うまくいかないことを恐れて何もしないことよりも、うまくいかなければ、もう一度やってみよう。それでもだめなら他のことをやってみよう。だからダメなんだと人を責めることや言い訳ばかりで責任転嫁するのもやめよう。主がともにおられるという確信をもってともに大胆にチャレンジしてみましょう。