捨てることで考えた「選ぶ」こと

 K教会のS牧師が広~い家から小さな家に引っ越しをして物が収まり切らないと悲鳴を上げておられます。気がついたら私の家族も今の牧師館に10年。小学一年、幼稚園、2歳児だった子どもたちも高校生、中学生、それに小学生と生活も大きく変わりました。

 改めて見渡してみると、10年間全く開けていない段ボールがあるではないですか。家族の生活には合わなくなってしまった家具や物がそのまま残っています。引っ越したりするなら、そのときを機に整理し、処分したりするのでしょうが、何となくそのままになっている物が少なくありません。場所に限りがありますから、ある程度は捨ててきたはずですが、それでも物を積み重ねてしまうのです。なぜでしょう?

1.単純に捨てるという作業が面倒。

2.いるいらないの判断の先延ばし。

3.いつか役に立つかもしれないからとっておく。とりあえず。

4.思い出深いものを捨てられない。

5.手許にあれば、安心できる。

 日本人は物を持つことで豊かさを確かめる生活をしてきた国民です。考えて見れば、子どもの頃には誰も持っていなかったようなものが家の中に溢れています。そしてそれを当然のように生活しています。10年経つとさすがに踏ん切りがつき、取捨選択を始めましたが、判断に迷うことも少なくありません。

 物と生活は密接に結びついています。そして、物の数と行動範囲は重なり合い、限りがあるのです。その取捨選択は自分が何を大切に時間を使うのかという選択です。あれもこれもはできません。何事でも豊かさとか量でことを計るのではなく、与えられたタラントをよくよく見極め、選ばなければないことを考えさせられています。