時代が変わりつつある

 先々週お伺いしたS聖書教会にはMハウスという施設があります。教会員が建てたアパート一棟をまるごと献げてくださったものです。高齢で行く当てのない教会員や様々な事情で必要を覚えてる兄姉のために用いられるように。主が必要を与えてくださる。それが教会の交わりの中でという祈りを込めた建物です。

 献げてくださった兄にお会いしました。ゲストハウスにも用いられているのですが、周りをぐるっと廻ってみると、同じ姓の表札ばかりです。兄に聞いてみるとみな親戚一族だそうです。その中で一人信仰生活するというのは大変なことだったでしょうとお伺いすると、確かにその通り。それは織田信長から姓を賜った由緒ある一族なのです。一方でなるほどなぁというお話をお伺いしました。

 その地縁と血縁とが結びついた中で、これからはキリスト信仰で行くと周りに告白し、これまでしてきた様々な行事にもご無礼をしなければならない。とりわけ、寺の5人組、毎月集まってはともに読経するような組に生まれながら加わっていたそうです。それにこれからは参加しないというのには大きな勇気が必要だったと言います。しかし、兄がやめてから程なくして、その組は解散してしまったというのです。「なぁんだ、みんな信心深くやっていたわけじゃなかったのか」と驚いたそうです。

 坊主丸儲けというような時代や地縁・血縁の絆も急速にその求心力を失っています。それに代わるものもなく、漂流する根のない個人主義がこの国を覆いつつあるように思います。そのような中にあって、キリスト信仰という深く豊かな命を持っている生き方、その文化が周りを照らす光となることを覚えたいと思うのです。そのためにこそ主に先駆けとして選ばれたのですから。