時代の流れと宣教師の労苦

 TEAM宣教団の年会に招かれてご挨拶をしてきました。何か皆さんを笑わせてくださいと言われ、こんな話をしました。
 小学生のある日「センタッキー美味かったぜ」と話題になりました。「なんだおまえ洗濯機なんて食えないよ」。だから「センタッキー」だよ。違う違う、「ケンタッキー」だろ。1970年代、それはそれは衝撃的に美味しい「ご馳走」でした。アメリカ人宣教師は、粉と牛乳と油と砂糖を混ぜて焼くアメリカンケーキ、スパイスケーキなどを作っては人を集めました。ケーキなんて誕生日に駅前のケーキ屋でしか買わなかった時代です。
 英会話も多く人が集まりました。巷の英会話教室などどこにもありませんでした。ガイジンというだけで興味の対象。お友達になりたい日本人はたくさんいました。私たち家族が東京から引っ越した取手では、日曜の朝からノーブル宣教師は車の屋根に付けたスピーカーから「取手聖書教会です。日曜日は教会へ」と町中をクルマで走り回りました。そして、5年の働きで教会堂を建て、牧師を招聘することもできました。
 私たちもそういう宣教師たちの働きを受けて教会の働きが続けられてきました。一方、時代は大きく変わり、少々の憧れを伴う異文化のもの珍しさはほとんどありません。宣教師たちは様々なコンタクトを作り、それをきっかけに伝道してきました。それは教会も同じですが、人々の関心が多様になり、個人的になり、私たちがどうやって人を呼べるのか、もっとも今はこれにコロナが加わってさらに難しいというより、できない状況が続く中、それでもどうにか、この福音を伝えたいと祈り願い献身している宣教師たちの働きに心からの感謝をしたいと思います。
 どうにかよい励まし合い、協力をして、「ひとりの罪人が悔い改めるなら、天で神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」(ルカ15:10)を祈りたいと思います。