時代を見る目と私たちの願うこと

 建築家の安藤忠雄氏の講演を聴く機会がありました。その中で教えられたことがいくつかあるのですが、その一つは今の時代を見る目です。1980年代まで日本は戦後の復興から欧米に追いつけ追い越せと豊かな暮らしを夢見てきました。ところがその時代にそれが達成されて、新たな目標を失ってしまったのではないか。そして「夢のない国は滅びる」という厳しい指摘でした。
 言われてみると、70年代、欧米の文化、暮らしは日本人の憧れでした。ガイジンは珍しく、英語を話せるのはステータスでした。アジアの諸国でマクドナルドが憧れであるように、それは特別な時だけのものでした。ところが今やマクドナルドは日常です。また国民的アイドルはいません。世代間は断絶し、世代もひとくくりにはならず、まとまりなく、「それぞれが自分の目に正しいと思えることをする時代」ではないでしょうか。「あなたの常識はあなたの常識、私は違います」という時代です。
 さて、教会もそのような世の流れと決して無縁ではありません。とりわけ宣教師から始まった群れは、そこから自立し、教会堂を建てることが一つの夢でした。夢を達成することに力を注いできました。その夢の先にあるものがきちんと育てられてきたのかということを自答しなければならないでしょう。
 今問われているのは、「ここに道あり」と生きることを通して証しすることではないでしょうか。その道はキリストにある道です。「神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように(エペソ3:19)」と願うこと。あまりにかけ離れていないでしょうか。それに気が付きさえしない頑なさがないでしょうか。主よ。こんな私を、私たちをあわれんで道を教えてくださいと祈らなければなりません。