歴史に学ばない強行採決

 「お父さん、おかしいでしょ!」何よりも自由が好きで、強制されることを嫌う息子、

「新聞読まないオレが、新聞読んでンだよ」

と秘密保護法案が衆院で強行採決された翌朝いったいどういうことかと問いかけてきた。

 私の祖父の兄、松村民之助はホーリネス教会の伝道者でした。祖父は聞く前に召されたし、父はまだ幼児でした。私が知るのは父のいとこにあたる叔父の略年譜の中の一行だけです。「昭和12年、東京の高円寺で少年時代を過ごす。戦争中のことゆえ、スパイ扱いされ暗い時代を送る。」

 これと時を同じくする昭和12年、軍事保護法が改正されました。その解説の中には「軍機保護法は軍機を漏泄したものを処罰すると言ふよりも、むしろ軍機保護の観念を国民に普及し警戒を与へるといふ点に真の意義がある。」と書かれています。「見ざる、言わざる、聞かざる」の風潮を国民に植え付けるのが目的だということです。

 さらに、「日常の国民生活の総てが大なり小なり国家機密に関係があるといふ油断のならない時世になって居るのである」と続きます。今、秘密保護法案では秘密の範囲、年限などが議論されています、そしてそれは第三者である首相が担保するから問題ないと説明がされています。しかし、今でさえ曖昧さが残る法は、その時その時で都合よく拡大解釈されることは世の常です。

 戦後70年を迎えようとしている今、世代はすっかり入れ替わりました。過去の歴史に学ぶことが疎かにされていないでしょうか。いやそればかりではありません。旧約の時代から人は営々と同じことを繰り返しをしてきました。世にあって世に流されず、主にあって私は自分の信じるところに立つ。それを今一度はっきりと確認するとともに、この国のために祈ろうではありませんか。