毎日をまっさらに

 「砂漠の知恵」(ヘンリ・ナウエン監修)という本があります。4~5世紀のキリスト教の隠遁者たちが砂漠(荒野)で祈りと断食の修道生活する中で語られたことばをまとめたもので、その言行録は修道院の中で語り継がれてきました。世間から離れた生活をしたからといって、心がきれいになるわけではありません。問題は人間の内側の問題だからです。しかし、祈りと黙想に集中することで、みことばに対する深い観想、己に対する深い洞察がされています。文字面を負えば、「ふ~ん」と過ぎてしまうようなことばも多いのですが、心を研ぎ澄まして聞くならば、深い知恵が隠されています。
「師父ポイメンが師父ピオールについて語ったところでは、彼は毎日をまっさらに新しく始めていた。」
 レビ記16章には「大いなる贖罪の日」という日について語られています。その日、二頭の山羊をささげます。一頭は犠牲として血を流し、いのちをもって民の罪の贖いのためにささげられます。もう一頭はアザゼル(「全き除去、罪の全き赦し」を意味する)の山羊として荒野に放たれます。それは「もうあなたの罪は手の届かないところに追いやられて帰っては来ない」ということを意味します。
 「まっさらに」ということはこういうことです。キリストにあって、私たちはすっかり新しくされた。もはや罪は思い返されることのない遠くへ追いやられた。だからこそ、日々を新しく生きるのだということです。新しい一年が始まります。世に生きる私たちは未だ不完全で罪を犯します。しかし、一日一日をキリストにあって「まっさらに」新しく始めようではありませんか。
 あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。(コロサイ3:9-10)