父であることは信じること

 自分が父親になってみて初めてわかったことがあります。母親はこどもを産んだ瞬間から、いや、それよりずっと前から母親なのです。こどもをお腹に宿したときから母親としての準備を始め、つわりから、徐々に大きくなっていくお腹。何をするにも一苦労という時期を経て、全身で痛み苦しみながらいのちをかけて母親になります。
 一方、父親はと言えば、出産の時にはおろおろするばかり。立ち会いするなどといっても全くの無力で、見届けたというくらいなものです。一方、自分が父親であることはどうしてわかるのでしょうか?血液型を確認したなど聞いたことがありませんし、むろんDNA鑑定をした人などいません。父親であるということは「信じる」のものなのです。それは結婚が保障するものでもありません。妻との間の信頼の絆を信じ、我が子だと受け入れ、父親になると決意をするものなのです。たとえ、そのような確固たる自覚がことばになっていなかったとしてもです。
 はじまりはそうであったとしても、父親としての役割をきちんと果たすことは簡単なことではありません。マニュアル開けばその通りに行くようなものでもなく、自分の思いのままになる所有物でもないからです。子育てはからだの成長だけなく、人格を育てることであり、意志や思いを育てるのだからです。
 そこには、神が私にこの子を預けてくださったと信じることが大切なことではないでしょうか。いのちを造り出した神がこの私に委ねて下さった。できないことを委ねたのではない。神からの期待があって、委ねられたのです。
 信じることと行動は一つです。そしてそれを支えるのは「成果」。そう、感謝のことばが喜びとなるのです。それって、私のこと?
いえいえ、世のお父さんみなそうです。