礼拝に覚えたいこと

 ここのところ、礼拝について、とりわけ旧約聖書の礼拝について学んできました。少々読みにくく、「話す・聞く」よりも「読む・学ぶ」の方が良かったかと思いました。忍耐深く聞いて下さった兄姉に感謝を申し上げます。それでもまとめとして、いくつか大切な点を覚えていただきたいと思います。

 まず、バラバラな奴隷であった彼らが一つの民とされる中心は律法と幕屋という礼拝の生活でした。律法は神の聖さ、そして人との罪を教え、幕屋での礼拝は神の御前に立ち帰る場でした。その中で表すもの、それらは、神と共に生きる生活そのものでした。ですから、その信仰生活に表すものは、今の私たちにとっても同じです。違いはすべてが主イエス様の十字架と復活によって成就して、新しくされたという点です。人のいいかげんさ、かたくなさ、不信仰と神のあわれみを歴史の重みをもって証ししているのが旧約です。

 全焼のささげもの、それは献身、つまりいのちは誰のものであるのかということを問います。穀物のささげもの、それは日々の糧、つまり食べるもの、着るもの、住まい、健康や勤労、すべてに対する感謝を表します。交わりのささげもの、それは神との交わり、とりわけ聖餐において食するという厳粛な招きが十字架の贖いゆえであることを覚えるものです。そして、罪のためのささげもの、主イエスの血潮をして赦されている。私たちの罪の深さ、一方での赦しときよめ、それを思い起こすことです。

 私たちの礼拝の中には、それらが織り込まれています。私たちの創意工夫で神に通じるのではなく、神がくださる恵みへの応答、御前に「ひれ伏し」、神をあがめることが大切なのです。そして、「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。」(ローマ12:1)とある礼拝を神の民として共におささげするのです。