神が立てる権威と私たちの務め

 私たちの国では今、国政選挙が行われようとしています。この世の政治に対して聖書はどう教えているでしょうか。
 人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。…それは、彼があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。…彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行う人には怒りをもって報います。(ローマ13:1~4)
 そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。(1テモテ2:1-2)
 イエスは言われた。「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」(マタイ22:21)
 政治の役割は秩序の維持と富の再配分です。バベル後、人は全地に散らされました。一強の世界になると罪ゆえに人は高ぶり、圧政や虐げ、差別や搾取を繰り返します。それがゆえの神の配慮です。立てられた権威が失墜するのは民意を踏みにじるときです。それは必ずしも民主主義がすべてであるわけではありません。君主制や独裁制であっても民意がついていかないところは崩れてきたのはこれまでの歴史が物語っています。
 私たちの国は明治以降の近代国家の確立とともに始まった立憲君主制から戦後、民主主義と天皇象徴制へと変わり、国民主権の精神が憲法にも謳われました。その中で地の塩、世の光としてこの国に置かれているキリスト者がその務めとして選挙することは大切なことです。そして、この国とこの世界のために、上に立つ者たちがよき務めを果たすことができるように祈っていきましょう。