私たちの慰め

 パンデミックが止まりません。いったいいつまで続くのか、どこまで拡大するのか。誰もはっきりわからないまま感染拡大が続き、世界の感染者は219万人超え、死者数は15万人を超えました。国内でも、非常事態宣言が全都道府県に出され、日に日に感染者数は増加。人の意識も困惑と恐れとが入り交じって不安感が拡がっています。このような事態は100年前のスペイン風邪の大流行以来のこと。今生きている者たちが経験したことのない事態です。
 教会にとって、信仰者にとって毎週欠かさずに集まり、兄弟姉妹と共に礼拝をささげることは一番の感謝であり喜びであり、またいのちです。礼拝のために生きていると言ってもいい。それがキリストの教会です。ところが物理的に集まることが困難になりました。  
 教会は、私たちが今しているように自由に集まりを持ってきたかというと、必ずしもそうではありませんん。代々の教会は幾多の困難な時代を通ってきました。その多くは迫害です。公に集まることができずに地下に潜伏し、あるいは隠れキリシタンとなりました。あるいは奴隷のように自由を奪われる者もいましたし、真理のために牢に繋がれる者もいました。そのような中で二人、三人と励まし合いながら信仰を守ってきたのです。
 一つ、みことばを心に刻み、私たちの慰めとしましょう。
「だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。…私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、 高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」ローマ8:35-39