私の栄光、神の栄光、互いの労り

 先週、60周年の記念会をしました。様々な奉仕をしてくださった兄姉、ともに参加した兄姉、お疲れ様でした。心から一人一人に感謝を申し上げます。

スライドショーをして振り返ると、とてもすべてを網羅することはできません。あの時この時、あの人、この人、どれが大事でどれが大事でないなどということはありません。一方でいくつか選ばなければなりません。

 そうすると私たちの心は感じるのです。やっぱり私はこの教会の中で一生懸命仕えてきた。それで教会の今がある。いえいえ、そんなと言いながらも、心の中に小さな誇りが生まれます。あるいは私は大事にされていない・・・。小さな失望感を味わいます。残念なことに、私たちの心はそのように狭いのです。ほんの小さな小さな思いなのですが、自分の名が残るか残らないか。ただ、神の栄光をほめたたえたいと願ったことが、どこかで自分の栄光にすり替わりやすいのが私たちの心です。人生の過ごした時間の評価や人の評判にささやかな喜びを見つけたいのです。伝道者の書が探し求めたもの、見極めようと試みたものの一つが、それです。

 それでは私たちは何もいらないのでしょうか。いえいえ、やっぱり互いの間で感謝を言い表したいと願います。それは教会が天国を垣間見る場所だからです。そして、それを共に神さまへの感謝にしたいと思います。神さまが兄弟姉妹をして、こんなに素晴らしいことをしてくださった。あなたの喜びは私の喜び。自分の栄誉ばかりを求めやすい私たちの心ですが、恵みを共に喜びたいと願います。

もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。1コリント12:26