聖霊の導きは罪の悔い改めから

 日本宣教の現状は芳しくありません。過去5年、10年の約500教会の教勢の変化について調べる機会がありました。明かな傾向があります。会員数が200,300人の教会400,500人になっています。一方100人を超えてかつて大きい教会と言われた教会は停滞ないし衰退です。30人の壁があると言われてきましたがが、このラインが7割です。そして、一部の教会が延びてはいますが、全体的には停滞、衰退しています。

 延びている教会に特徴的なのは、その規模の数になると、様々な賜物を持つ人が生かされて、介護や教育などの地域へ奉仕するサービスを教会が提供していることです。そこで様々な人との接点を通して、信仰と生活が結びついて証しを続けるように導かれてきたことであろうと思います。震災以後、被災地での支援活動が教会と地域の壁を埋めたと聞きます。それは信仰と生活が不可分に結びついた愛の証しを地域に与えたからです。

 数の問題だけではありません。問われることは信仰と生活が結びついた生き方をしているのかということです。我が身を振り返って考えるべきことは、十字架の主イエスにふさわしい生き方をして、主イエスを証ししているだろうか。ただ一つ、そのことが問われることです。

 ペンテコステの日、聖霊に導かれた人たちに起こったできごとは、「神を讃え」、「心を刺され」、「悔い改めた」ことです。実に聖霊が導くことは、人に罪を認めさせ、悔い改めて神に立ち返らせることです。嘆くべきことは自分自身の罪です。十字架の主にふさわしからざる者であることを悔い改め、主イエスにふさわしく歩ませ給えと祈るとき、聖霊が私たちを用いてくださるのです。さあ、悔い改めることにおいて熱心に、聖霊なる神のみ声に聞き従おうではありませんか。