行間を覚えて

 今日は、年度の決算総会を行います。その総会の各種の報告をみるとき、それが統計の数字であれ、会計の決算であれ、諸報告であれ、表に表れる数字や報告が表すものとともに、その影に隠れて見えない行間にある様々なことに、また感謝をしたいと思います。

 数字や文字に現れないものは、兄弟姉妹それぞれが献げてくださった見えない主への奉仕です。その労は「右の手していることを左の手に知られないように」(マタイ6:3)誰かに感謝されるためでもなく、また、自分の誇りとなるようなものでもありません。主に喜んでいただきたい、兄弟姉妹の助けとなり、喜びとなって欲しいと願って影になって献げてくださった奉仕があります。実に教会というもの、そういうものによって成り立っていることに互いに感謝を覚えたいと思うのです。

 また、私たちの教会はこれで、65年目の歩みに入ります。このように教会の営みが続けられてきたのは、教会のかしらであられる主が導き、御霊による一致を保ってくださったということに感謝したいと思うのです。おおよそ、私たちの欠けだらけの愛では交わりを保つことなど到底できません。あちこちにほころびが出るだけです。ときに行き違いが起こり、ときに意見が違い、感情的にも赦せないと思うようなことも起こる。それが罪深い私たちです。それが保たれたのはかしらなるキリストゆえに他なりません。

 そして、もう一つの感謝は兄弟姉妹がそれぞれの場でキリストの証し人として主が用いてくださったことです。教会に直接繋がったり、来会したということがなかったにせよ、それぞれの日々の歩みの中でその生き方が、言葉が姿勢が態度が行いが、キリストの証しに用いられたことを感謝したいと思います。それが、いつの日にか目に見える日を与えてくださることを共に祈りたいと思います。行間にある恵みはたくさんです。心からの感謝を加えて献げましょう。