阪神大震災19年に思う

 1995年1月17日、朝一で突然飛び込んできたニュースに驚愕した。街が燃えている。

2年前に訪れた美しい街が燃えている。

 当時、私は建設コンサルタントで設計の仕事をしていた。駆け出しとはいえ、鉄筋コンクリートと基礎のプロである。土木技術の想定を越えた地震に耐えられずに橋が倒壊し、落橋した。すぐさま、基準がすぐに見直されて、設計のやり直しもした。しかし、どこか遠くの出来事に感じていた。それが身近になったのは、避難してきたN姉家族との交わり、西宮で被災した秦牧師との親しい交わりを通してである。

 秦牧師は元通りになることは再建に過ぎない。震災の経験は揺れた、壊れたということだけはなく、本当に大切なものが何であるかをふるい分けてくれる。心新しくされることが復興だと教えてくださった。N姉は震災別居である。震災がふるったのは関係である。東京都が用意した被災者受け入れ住宅に入居した。彼女に限らず、そのような人は多くいる。助け合った美談だけではないのである。彼女は、赦すこと、受け入れること、関係を回復すること、心の復興に悩みながらも賢明に祈り続けた。それから19年、幼かった子どもも成人し、大学を卒業して社会人になる。

 これほど大きな出来事に接しても人の心は元通りになればと願う。しかし、語りかけられている神のことばを聞くことなければ、ただ災難に遭ったということだけで終わってしまう。

 また、当事者でない者たちは、どこか人ごとである。共に喜び、共に悲しむことを教えてくださいと祈ることを求められてはいないだろうか。そして、それは今、目の前にあるが気づいていないことがたくさんあるのだ。

 真の復興をと祈り続けよう。目を開いてくださいと祈り続けよう。