「キリストの愛から引き離すものは何もない」ローマ8:28-39

 「あしあと」という詩はよく知られています。「一番あなたを必要としたとき、あなたがなぜ私を捨てられたのか、わかりません…あしあとが一つだったとき、私はあなたを背負ってあるいていた。」私たちには苦しみ悩みに押しつぶされそうなときがあります。

 ルターは「主が近くにおられたときに、主は私たちから遠くあられた。主が私たちから遠いとき、主は私たちに近くおられる」と語りました。よみがえったイエス様が今も地上におられのなら、私たちはエルサレム詣をしなければ、イエス様にお会いできないでしょう。ところが天に帰るそのとき、「見よ。私は、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」と主は約束をくださいました。私たちが祈るところどこであっても必ず聞いていてくださるのです。

 だからこの箇所でパウロは語るのです。敵につぶされそうになるとき、孤立無援と思えるようなとき、神は私たちの味方です。不足や欠けを覚えるとき、御子をさえ惜しまず渡された方はすべてのものを恵んでくださいます。責められ、訴えられることがあっても神は義と認めてくださる。罪に定められようとするとき、大祭司として絶えずとりなしていてくださいます。

 罪と死に打ち勝って今も天におられる主イエス様がいのちをも捨てるほどに大きな愛をもって私たちを導いていてくださり、主が与えてくださるのは勝利です。これこそが私たちが昇天を告白するときに覚えるべきことです。だからこそ、どんなものをも「キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」とパウロは高らかに宣言しているのです。こんなにも心強いことがありましょうか。何が起ころうともこの確信をもって歩もうではありませんか。

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