礼拝説教

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「救いの目的」エペソ1:3-7

 礼拝についてしばらく一緒に学んでいきます。私たちは礼拝というとどうしてもプログラムであるとか、形を考えますが、礼拝とは何ですかと問われたとき、明確な答えを持っているでしょうか。礼拝の心、姿勢、神のみこころを聖書の中に確 Continue Reading →

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「私の兄弟、姉妹、母、父」マルコ3:31-35

 家族に働く「均衡」という力学、イエスの家族も同じように「気が狂ったのだ」という声に連れ戻しにやってきます。ところが、イエスに近づくことすらままなりません。イエスはその呼びかけには答えず、まったく別のことを言います。「わ Continue Reading →

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「それでもなお拒むのか」マルコ3:20-30

 イエスの宣教の始まり、それは神の国の到来を知らせる祝福のわざが行われました。一方そこには反発・拒絶が起こります。  イエスを連れ戻しに身内の者たちがやっています。マリヤは処女降誕から始まって、神のなさる不思議なわざをそ Continue Reading →

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「イエスの弟子たち」マルコ3:13-19

 イエスは弟子たちを選び、任命するのですが、「山に登り」とあります。日常の喧噪から離れて祈りに集中なさったのです。イエスはしばしば、そのように寂しいところ、何もない、静かなところに退き、祈りの時を持ちました。そして、神と Continue Reading →

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「みんななのか、私なのか」マルコ3:7-12

 ガリラヤから始まって、続々とイエスのもとに人々が集まります。その目的はいやしです。この群衆、イエスのところに行くなら、病がいやされる。みんながイエスを自分たちにとって都合のいい、願いを叶えてくれる存在にしようとする。い Continue Reading →

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「心貧しき者の幸い」マタイ5:1-9

 人は生まれ育ちを選ぶことができません。N兄の生まれ育ちは過酷でした。寂しさ、不信、 信じられるは自分だけ。強く生きようとすることで自分を守ってきました。しかしその強さも、酒の力を借りなければならなかった。それが破綻して Continue Reading →

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「安息日の主」マルコ2:23-28

 新しいぶどう酒は新しい皮袋に。そのように新しい皮袋に自分を変えるため、やわらかな心を持つためには、伝道者7:16にある一つのことば「あなたは正しすぎてはならない」を覚えます。自分の正しさ、知恵に頼る古い頑なな皮袋です。 Continue Reading →

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「新しいぶどう酒は新しい皮袋に」マルコ2:18-22

 「新しいぶどう酒は新しい皮袋に」ということばはよく知られたことばで、何かを全く新しくするときに使われることばです。最初の弟子たち、彼らはイエスの招きに自分の持てるものを捨てて従いました。しかし、人は持てるものが多ければ Continue Reading →

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「罪人を招くために」マルコ2:13-17

 イエスの時代、この地はローマの支配下にある属州にされていました。ローマは1/10税を属州に課しましたが、その徴税は徴税請負人たちに任せました。その税に加えて属州のための税、それに請負人の「経費」、つまり不正な取り立てに Continue Reading →

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「この方のところにさえ行けば」マルコ2:1-12

 中風という病気、それはからだの麻痺、脳出血や脳梗塞などの病気のゆえでしょう。その人のいやし。この箇所が問いかけることの中心は「罪の赦し」、そして、もう一つは「自由」です。それをキーワードに神の語りかけを聞きたいのです。 Continue Reading →

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