礼拝説教

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「罪人を招くために」マルコ2:13-17

 イエスの時代、この地はローマの支配下にある属州にされていました。ローマは1/10税を属州に課しましたが、その徴税は徴税請負人たちに任せました。その税に加えて属州のための税、それに請負人の「経費」、つまり不正な取り立てに Continue Reading →

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「この方のところにさえ行けば」マルコ2:1-12

 中風という病気、それはからだの麻痺、脳出血や脳梗塞などの病気のゆえでしょう。その人のいやし。この箇所が問いかけることの中心は「罪の赦し」、そして、もう一つは「自由」です。それをキーワードに神の語りかけを聞きたいのです。 Continue Reading →

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「お心一つでという信仰」マルコ1:40-45

 ツァラアトという病、それは長い間「らい病」と訳されてきましたが、それは同一ではありません。それが「らい病」と訳されたのは社会的偏見と差別のあり方が類似しているため、あえてそう訳されてきたのです。「傷を与える方は、忘れて Continue Reading →

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「さぁ、出ていこう!」マルコ1:29-39

 シモンとアンデレ、ヤコブとヨハネの兄弟、彼らは船も網も、父も雇い人も残してイエスに従ったはずでした。しかし、ここでは彼らの家に行きます。後にペテロは妻について家族について、愛と尊敬に溢れた温かな教えをします。一方で、イ Continue Reading →

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「イエスの権威」マルコ1:21-28

 カペナウムの会堂でイエスが教え始められると、人々は驚きました。「律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたから」です。彼らは律法に加えて、口伝のミシュナーやその解説であるタルムード、高名なラビのことばな Continue Reading →

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「人間をとる漁師に」マルコ1:14-20

 イエスの宣教の初め、それは「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」ということばから始まります。それは、今、その招きにどのように応えるのかということが迫られることばです。  の宣教の開始とともに記さ Continue Reading →

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「喜ぶ者と喜び、泣く者とともに泣く」ローマ12:15-21

 東日本大震災から丸7年となりました。災害が起こることは自然のサイクルです。しかし、大きなインパクトのある出来事をして、私たちは本当に必要なもの、なくてはならないもの、なくてよいものが問われ、また、心の向きがどこへ向いて Continue Reading →

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「荒野の誘惑」マルコ1:9-13

 イエスは荒野で3つの誘惑を受けられたことはマタイの福音書に記されています。一方でマルコの福音書には触れていません。別の意図があるのではないでしょうか。  イエスが誘惑にあわれたのは荒野です。荒野は原野とは違います。元々 Continue Reading →

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「イエスは誰なのか」マルコ1:9-13

 ヨハネは「罪の赦し」のバプテスマを人々に迫りました。それはバプテスマのヨハネだけではなく、異邦人の改宗者に、あるいは修道生活をする集団への入会などにも行われました。ヨハネのバプテスマはヨルダン川に出て行かなければなりま Continue Reading →

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「キリストの道備え」マルコ1:1-8

 マルコの福音書はバプテスマのヨハネのことから「キリストの福音」を語りはじめます。彼は使徒であるパウロやペテロと行動をともにし、その目撃証言をもとに事実を吟味して簡潔にそれを記しました。それは、旧約聖書から続く約束の成就 Continue Reading →

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