礼拝説教

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「愛によって働く信仰」ガラテヤ5:1-12

 パウロの手紙には特徴があって、教理を教えた後に実際にどう生きるのか。私たちの生活に結びついた教えをします。キリスト者の生活は外面だけを変えようとするならば、再び、律法主義に陥ってしまいます。内側が造り変えられること、キ Continue Reading →

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「奴隷から自由へ」ガラテヤ4:21-31

 この箇所のテーマは「奴隷と自由」です。パウロはそれを説明するために比喩としてユダヤ人の父祖アブラハムの妻サラの女奴隷ハガルから生まれたイシュマエルの話をします。アブラハムは神様から祝福の約束をいただきますが、跡取りがい Continue Reading →

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「伝道者パウロの心」ガラテヤ4:12-20

 パウロは「あなたがたのために労したことが無駄になったのではないか」、「途方に暮れているのです」という思いを吐露しながら手紙を書き進めています。私も同労者たちの涙と落胆、祈りと忍耐を多く見てきました。人間的な言い方をすれ Continue Reading →

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「どうして逆戻りするのか」ガラテヤ4:8-11

 かつての古い私たちは「本来神ではない神々の奴隷でした。」しかし、恵みによって始まったはずの信仰生活が古い生き方に戻ってしまう。それはさながら放蕩息子の兄息子の言い分です。無条件で赦され受け入れられる。それはあまりにも虫 Continue Reading →

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「アバ、父と呼ぶ幸い」ガラテヤ4:1-7

 信仰によって神の子どもとされた。しかもそれは、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男と女もない。みな一つ。それは、罪に分断された世界を変える大きな神の救いのみわざです。それを「つまり、こういうことです」とパ Continue Reading →

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「誰もが神のこども」ガラテヤ3:23-29

 この箇所の中心は私たちが信仰によって神の子どもとされることです。しかし、それまでは律法の下に監視され、厳しい養育係のもとに閉じ込められていました。それはさながら巨人の星の星飛雄馬。厳しい父の果たせぬ夢を託されて野球に打 Continue Reading →

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「確かな約束と後から来た律法」ガラテヤ3:15-22

 この箇所のテーマは約束と律法です。十字架に贖いによる恵みの約束を信仰によっていただいた。ならば、御霊に導かれて喜んでそれにふさわしく生きようと願う。そこには愛と思いやりがあります。一方、律法を守ることは肉による努力の世 Continue Reading →

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「十字架こそ救い」ガラテヤ3:9-14

「律法の書に書いてあるすべてのことを守り行わない者はみな、のろわれる」(10)というのは申命記27:26のことばです。一方それは、みおしえを守るなら祝福されると続きます。イスラエルの民がいよいよ約束の地カナンに入ろうとい Continue Reading →

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「信仰によって生きる人こそ」ガラテヤ3:5-9

 あぁ、愚かなガラテヤ人ということばから始まって、パウロは律法主義、行い主義、「してはならない、しなければならない」ではなく、ただ十字架のイエス様を見上げる信仰について教えてきました。それを彼らの父祖アブラハムを例に語り Continue Reading →

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「あぁ、愚かな人よ」ガラテヤ3:1-6

 パウロはここに、厳しいことばで問いかけをします。「あぁ、愚かなガラテヤ人」、英語では一様にfoolishと訳され、砕けて言うなら、「バカな、わからずや」です。『バカの壁』という本がベストセラーになりました。人は見たいも Continue Reading →

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