礼拝説教

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「罪の赦しときよめ」レビ4:1-2, 27-35, ヘブル9:11-14

 ここに命じられているのは、罪が罪とわからず罪に陥り、後から責めを覚えるときのことです。常に罪を薄めてしまう私たち、自分の心を見張ることは大切なことです。まず、その罪とは何か。確認をしておきましょう。  罪とは第一に、い Continue Reading →

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「神との交わり、いのちのパン」レビ3章、ヨハネ6:35, 51-58

 私たちは交わりということばをよく使います。そしてしばしば暖かいとか冷たいとか、そういう言葉遣いをします。教会本来の交わり、一致の基はどこにあるのでしょうか。教会とはキリストのからだです。からであるということは、切り離す Continue Reading →

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「目が開かれた人の歩み」ヨハネ9:1-7, 24-39 N神学生

 主イエスは道すがら生まれつきの盲人に目を留め、目に泥を塗ってシロアムの池で洗うように言われました。その道のりは急な坂や階段も多く、盲人の彼にとっては簡単なことではありません。信仰なくしてできないことです。彼は主イエスの Continue Reading →

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「感謝をささげる」レビ記2章、マタイ6:11

 出エジプトの民、奴隷として烏合の衆であった彼らを神の民として整えるために、神は彼らをシナイの荒野で訓練します。エジプトを出てちょうど一ヶ月、食糧は底をつき、パンがないとつぶやき始めます。神はマナを与えて彼らを養いました Continue Reading →

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「いつまでも残るもの、愛」1コリント13:1-13

 「あぁ、長生きしてよかった!」と言えるのは「今、生きててよかった」と同じでしょう。今を喜べること、過去を感謝できること、これから先に平安があること、それが幸せの3つの条件であろうと思います。長寿をいただくということは、 Continue Reading →

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「すべてをささげる」レビ記1:1-17

 エジプトで奴隷であったイスラエルの民は神の輝かしい救いのみわざによって自由の民となりました。彼らが神を礼拝する民として生きるために与えられたのが律法と幕屋での礼拝です。それを繰り返す中で、彼らは神の民として整えられてい Continue Reading →

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「幕屋、神の聖さと栄光の前に」出エジプト40:16-38

 族長時代に続くのは、出エジプトです。出エジプト記の前半には奴隷の地エジプトからの救い、後半には救われた民がどのように生きるのか、どのように礼拝するのかが扱われています。19章には、「私の宝、祭司の王国、聖なる国民」とな Continue Reading →

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「祭壇を築く」創世記22:1-14

 礼拝という言葉、旧約聖書では元来「ひれ伏す」ことを指す言葉です。アブラハムやロトが御使いを迎えたとき、ヤコブがエサウに再び会うとき、エジプトのヨセフの前に出る兄弟たち。十戒の偶像を拝んではならないと言われること。礼拝の Continue Reading →

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「祭壇を築く」創世記22:1-14

 礼拝という言葉、旧約聖書では元来「ひれ伏す」ことを指す言葉です。アブラハムやロトが御使いを迎えたとき、ヤコブがエサウに再び会うとき、エジプトのヨセフの前に出る兄弟たち。十戒の偶像を拝んではならないと言われること。礼拝の Continue Reading →

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「平和の器に」コロサイ3:1-16

 平和を願うところ、難しいことばは必要ありません。私たちが互いにあいさつを交わし合うことです。ヘブル語の挨拶はシャロームですが、その意味は多様です。平和、平安のみならず、繁栄、健康、充足、救い、勝利という神の祝福を祈るこ Continue Reading →

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