礼拝説教

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「私たちの使命」マタイ28:16-2

 今日は、N神学生を送り出します。一年間のよき交わりに感謝しつつ、主にある働き人とともに教会に委ねられている使命を、このみことばに聞きましょう。  まず第一に、よみがえりのイエスさまにガリラヤの山でお会いしたときに、彼ら Continue Reading →

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「弟子を遣わす」マルコ6:6b-13

 イエスは12人を遣わします。それは、旧約の12部族に与えられた世界を祝福するというご計画の延長にあります。民族としてのイスラエルを超えて、信仰によるイスラエル、神の国の民を新たに立てようとなさった。そのさきがけがこの1 Continue Reading →

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「ホンモノが試される時」マルコ6:1-6

 イエスが故郷のナザレの会堂で教え始めると人々はつまづきます。そのことばと権威に驚くのです。「この人は大工ではないか。マリアの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄ではないか。その妹たちも、ここで私たちと一緒にいるではない Continue Reading →

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「死は終わりではない」マタイ5:21-24、35-43

 会堂司のヤイロ、その務めは町の顔役であり、社会的にも地位のある人でした。娘が病で死にかかっている。そうまでなるまでに、できることならどんなことでもしたことでしょう。しかし、なすすべがないのです。彼は、いままでイエスのな Continue Reading →

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「触れさえすれば」マルコ5:21-34

 イエスが再び舟で向こう岸に戻ると、すぐに大勢の群衆に囲まれました。会堂司ヤイロが娘のいやしを願い、そこへ向かう途上での出来事です。長血の女がイエスの衣のすそに触り、いやされました。古代の世界で恐れられ、避けられた病は皮 Continue Reading →

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「自分ではどうにもならないことを」マルコ5:1-20

 4章で読んだ「嵐」は外から襲いかけるものですが、ここに出てくる男は自分の内側に住み着く悪霊に支配されていた人です。極端なことのように思いますが、私たちにも遠い出来事ではありません。どうにもならなく、自傷行為をする若者は Continue Reading →

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「人生の嵐に」マルコ4:35-41

 時は夕方、群衆を教られたイエスは湖の向こう岸へ行こうと弟子たちを促します。漁師だったペテロたちには勝手知ったる湖のこと、いつものように漕ぎ出します。そこに嵐がたきつけるのです。彼らはあらん限りの力を尽くして舟が沈まぬよ Continue Reading →

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「神の国の成長」マルコ4:26-34

 読み飛ばした9-12節には、神の国の奥義について教えられています。それは隠されたもの、秘密という意味合いを持っています。何がそれを隠しているかというと、それは人の頑なさです。引用されている申命記29-30章には、荒野の Continue Reading →

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「世の光として輝く」ピリピ2:13-16

 志という言葉を使うとき、それは「こう生きたい!ありたい!これを目指す!」という何かしらの意思を伴います。ここにある志は「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです」とあるよう Continue Reading →

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「救い主が来られた」ルカ2:1-20

 イエス誕生、それは御使いがマリヤに告げた言葉。思いがけない突然の知らせにマリヤは戸惑います。理解を超えたことばかりですが、彼女はそれを信仰によって受け止めました。ヨセフも同じです。許嫁の妻が身ごもるとは裏切りを意味しま Continue Reading →

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