礼拝説教

Posted on by

「心の大掃除」マルコ11:12-21

 ベタニヤを出てエルサレムに向かうイエスはいちじくの木をご覧になりますが、実がありませんでした。時期ではなかったからです。それにもかかわらず、イエスはそれを呪います。何故でしょうか。それは、この出来事と前後する宮きよめと Continue Reading →

コメントなし

「王を迎える」マルコ11:1-11

 いよいよ、イエスはエルサレムに入城します。ホサナとは「どうか救ってください」という意味です。人々の期待はダビデの国の再興です。一方で、イエスは「神の国の王」として都に入られたのです。  世の王たちの姿、それは旧約聖書に Continue Reading →

コメントなし

「あなたの信仰が」マルコ10:46-52

 この時代の盲人、それは働くこともできず、物乞いをするしか生きる術がありませんでした。エリコは過越の祭を前にエルサレムに向かう巡礼の旅の最後の宿場になったところです。そこから出たところ、一番人通りの多い場所にいた彼は、イ Continue Reading →

コメントなし

「仕えること、与えること」マルコ10:32-45

 マルコの福音書は9章の変貌山の出来事、神の栄光を垣間見ることを境に受難、十字架へと向かいます。10章のはじめには神の国に入る条件、子どものように恵みを受けること、そして、目に見える頼りを捨てて従う者に与えられる祝福を学 Continue Reading →

コメントなし

「みからだをわきまえて」1コリント11:17-34

 キリストのからだとして共に生きることを常に確認し、常に思い起こすために主は私たちに聖餐を定めてくださいました。  聖餐、それはキリストのからだと血に「あずかる」ことです。「あずかる」とはコイノニアということばが使われて Continue Reading →

コメントなし

「キリストのからだ」1コリント12:12-27

 今年、このみことばを掲げてともに歩みしたいと願っています。昨年はクリスチャンセンター解体と会堂の一部リフォームという節目で、教会の歴史65年、若者中心の教会が三世代、四世代同居する教会になりました。赤ちゃんから高齢者ま Continue Reading →

コメントなし

「主にあって精算する」ピレモン

 一年の最後に胸のつかえのあることはありませんか。気がかりなことがありませんか。やっておかなければならないと思いつつもできないでいることはありませんか。それをしなければ、生きてはいけないというものではないかもしれない。で Continue Reading →

コメントなし

「きぼうのひかり」ヨハネ1:1-12

 「きぼうのひかり」と今日のテーマをつけました。同じテーマの歌がいくつもあります。人は希望を求め、光を見いだそうとします。それがないと生きていけなきからです。しかし、そこに確かな揺るがない希望があるのかというと、心許ない Continue Reading →

コメントなし

「すべてはこの時のため」創世記45:1-15

 私たちはイソップ童話の「アリとキリギリス」のように、努力を美徳とする世界に生きています。一方で、残念ながら努力が報われないこともままあり、頑張り過ぎて心と体を壊してしまうこともあります。そのギリギリの淵に立っている人も Continue Reading →

コメントなし

「ひとりぼっちじゃないよ」創世記28:10-22

私たちが人として感じる寂しさや悲しみ、孤独感。しばしば、私たちにはそのような時があります。あるいは、これから起こるかもしれません。心にしっかりと刻んでおきたいみことばが、この箇所、ヤコブに語られたことばです。「わたしは、 Continue Reading →

コメントなし

礼拝説教:過去のすべての投稿はこちら