礼拝説教

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「心貧しき者の幸い」マタイ5:1-9

 人は生まれ育ちを選ぶことができません。N兄の生まれ育ちは過酷でした。寂しさ、不信、 信じられるは自分だけ。強く生きようとすることで自分を守ってきました。しかしその強さも、酒の力を借りなければならなかった。それが破綻して Continue Reading →

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「安息日の主」マルコ2:23-28

 新しいぶどう酒は新しい皮袋に。そのように新しい皮袋に自分を変えるため、やわらかな心を持つためには、伝道者7:16にある一つのことば「あなたは正しすぎてはならない」を覚えます。自分の正しさ、知恵に頼る古い頑なな皮袋です。 Continue Reading →

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「新しいぶどう酒は新しい皮袋に」マルコ2:18-22

 「新しいぶどう酒は新しい皮袋に」ということばはよく知られたことばで、何かを全く新しくするときに使われることばです。最初の弟子たち、彼らはイエスの招きに自分の持てるものを捨てて従いました。しかし、人は持てるものが多ければ Continue Reading →

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「罪人を招くために」マルコ2:13-17

 イエスの時代、この地はローマの支配下にある属州にされていました。ローマは1/10税を属州に課しましたが、その徴税は徴税請負人たちに任せました。その税に加えて属州のための税、それに請負人の「経費」、つまり不正な取り立てに Continue Reading →

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「この方のところにさえ行けば」マルコ2:1-12

 中風という病気、それはからだの麻痺、脳出血や脳梗塞などの病気のゆえでしょう。その人のいやし。この箇所が問いかけることの中心は「罪の赦し」、そして、もう一つは「自由」です。それをキーワードに神の語りかけを聞きたいのです。 Continue Reading →

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「お心一つでという信仰」マルコ1:40-45

 ツァラアトという病、それは長い間「らい病」と訳されてきましたが、それは同一ではありません。それが「らい病」と訳されたのは社会的偏見と差別のあり方が類似しているため、あえてそう訳されてきたのです。「傷を与える方は、忘れて Continue Reading →

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「さぁ、出ていこう!」マルコ1:29-39

 シモンとアンデレ、ヤコブとヨハネの兄弟、彼らは船も網も、父も雇い人も残してイエスに従ったはずでした。しかし、ここでは彼らの家に行きます。後にペテロは妻について家族について、愛と尊敬に溢れた温かな教えをします。一方で、イ Continue Reading →

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「イエスの権威」マルコ1:21-28

 カペナウムの会堂でイエスが教え始められると、人々は驚きました。「律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたから」です。彼らは律法に加えて、口伝のミシュナーやその解説であるタルムード、高名なラビのことばな Continue Reading →

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「人間をとる漁師に」マルコ1:14-20

 イエスの宣教の初め、それは「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」ということばから始まります。それは、今、その招きにどのように応えるのかということが迫られることばです。  の宣教の開始とともに記さ Continue Reading →

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「喜ぶ者と喜び、泣く者とともに泣く」ローマ12:15-21

 東日本大震災から丸7年となりました。災害が起こることは自然のサイクルです。しかし、大きなインパクトのある出来事をして、私たちは本当に必要なもの、なくてはならないもの、なくてよいものが問われ、また、心の向きがどこへ向いて Continue Reading →

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