礼拝説教

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「感謝をささげる」レビ記2章、マタイ6:11

 出エジプトの民、奴隷として烏合の衆であった彼らを神の民として整えるために、神は彼らをシナイの荒野で訓練します。エジプトを出てちょうど一ヶ月、食糧は底をつき、パンがないとつぶやき始めます。神はマナを与えて彼らを養いました Continue Reading →

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「いつまでも残るもの、愛」1コリント13:1-13

 「あぁ、長生きしてよかった!」と言えるのは「今、生きててよかった」と同じでしょう。今を喜べること、過去を感謝できること、これから先に平安があること、それが幸せの3つの条件であろうと思います。長寿をいただくということは、 Continue Reading →

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「すべてをささげる」レビ記1:1-17

 エジプトで奴隷であったイスラエルの民は神の輝かしい救いのみわざによって自由の民となりました。彼らが神を礼拝する民として生きるために与えられたのが律法と幕屋での礼拝です。それを繰り返す中で、彼らは神の民として整えられてい Continue Reading →

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「幕屋、神の聖さと栄光の前に」出エジプト40:16-38

 族長時代に続くのは、出エジプトです。出エジプト記の前半には奴隷の地エジプトからの救い、後半には救われた民がどのように生きるのか、どのように礼拝するのかが扱われています。19章には、「私の宝、祭司の王国、聖なる国民」とな Continue Reading →

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「祭壇を築く」創世記22:1-14

 礼拝という言葉、旧約聖書では元来「ひれ伏す」ことを指す言葉です。アブラハムやロトが御使いを迎えたとき、ヤコブがエサウに再び会うとき、エジプトのヨセフの前に出る兄弟たち。十戒の偶像を拝んではならないと言われること。礼拝の Continue Reading →

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「祭壇を築く」創世記22:1-14

 礼拝という言葉、旧約聖書では元来「ひれ伏す」ことを指す言葉です。アブラハムやロトが御使いを迎えたとき、ヤコブがエサウに再び会うとき、エジプトのヨセフの前に出る兄弟たち。十戒の偶像を拝んではならないと言われること。礼拝の Continue Reading →

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「平和の器に」コロサイ3:1-16

 平和を願うところ、難しいことばは必要ありません。私たちが互いにあいさつを交わし合うことです。ヘブル語の挨拶はシャロームですが、その意味は多様です。平和、平安のみならず、繁栄、健康、充足、救い、勝利という神の祝福を祈るこ Continue Reading →

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「礼拝の心、献身」ローマ12:1-2

 この箇所、「ですから」という言葉で始まっています。ローマ書は、1章から11章まで、神がなしてくださった救いのみわざ、教理をパウロは語り、この12章から、信仰者の生活その適用を教えているのです。その最も重要なことは「神の Continue Reading →

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「救いの目的」エペソ1:3-7

 礼拝についてしばらく一緒に学んでいきます。私たちは礼拝というとどうしてもプログラムであるとか、形を考えますが、礼拝とは何ですかと問われたとき、明確な答えを持っているでしょうか。礼拝の心、姿勢、神のみこころを聖書の中に確 Continue Reading →

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「私の兄弟、姉妹、母、父」マルコ3:31-35

 家族に働く「均衡」という力学、イエスの家族も同じように「気が狂ったのだ」という声に連れ戻しにやってきます。ところが、イエスに近づくことすらままなりません。イエスはその呼びかけには答えず、まったく別のことを言います。「わ Continue Reading →

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