コラム

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教会のかしらはキリスト

 先週の信徒会では、意見が割れました。実際に割れたわけではなく、強い賛成の兄姉と強い反対の兄姉がいたわけです。2-6-2の法則をご存じでしょうか。人が集まるところ、物事を進めようとするときに、不思議とその割合になるという Continue Reading →

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手の中に宝を持っている

 新年度の計画を立てる時期になりました。ところがコロナの見通しもまだ立たない中、どのように計画を立てたらいいのか、悩ましく思います。それは社会全体がそうです。昨年の今頃まで、教会連合の会議で代々木のオリンピックセンターを Continue Reading →

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「なんというタイミング」創世記37:12-35

 なんというタイミングでしょうか。彼らにイシュマエル人の隊商が通りかかるタイミングは不思議です。シェケムで兄たちを見つけていたら、こうはなりません。ドタンにいるという話を聞かなければ、別の場所に探しに行くか、あるいは父の Continue Reading →

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1分の1という命の重み

 コロナの感染の拡大が続き、病院の受け入れ体勢が逼迫しています。すでに救急車の搬送先が見つからない。本来、入院するべきところを待機し、自宅で亡くなる方が出てきている。そういう話も聞きます。そして、しばらくの間、そのような Continue Reading →

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「良くも兄弟、悪くも兄弟」創世記37:1-11

 私たちに起こる出来事、それは偶然の積み重ねなのか、それとも神の摂理の中にあることなのか。それによってものの捉え方、生き方が変わります。神が御手をもって導いておられる。それを「摂理」と呼びますが、そうだとしたら、一つ一つ Continue Reading →

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その時にならないと

 わかっていたはずでした。今週は、コロナの新規感染者が5千人、6千人、7千人と急激に増えて、金曜日には7千8百人と8千人に迫る勢いです。驚くことではありません。気温が下がり乾燥する冬は毎年季節性インフルエンザが流行ります Continue Reading →

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「すべてのことが益とされる」ローマ8:26-37

 「あしあと」という詩はよく知られ、多くの人の励ましとなってきました。「わたしは、あなたを決して捨てたりはしない。まして苦しみや試みの時に。あしあとがひとつだったとき、わたしはあなたを背負って歩いていた。」人生の困難は必 Continue Reading →

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イエスの恵みは注がれている

 子どもたちに誘われて、精進湖に日の出を見に行きました。真っ暗な甲府を出て湖に着くと、すでに日の出を待つ人たちが大勢カメラを構えていました。徐々に白んでいく空、そして、山際がオレンジ色になり始めると、富士山の頂上から順に Continue Reading →

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「栄光を待ち望む」ローマ8:18-25

 新しい年を迎えて、みことばを掲げて前進したいと願っています。この箇所の直前に、すでに「神の子どもとされた」こと、一方で、「子とされること、からだの贖い」を待ち望むと書かれています。確かに今、神の子とされていますが、救い Continue Reading →

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新しい年を迎える備え

 クリスマスを終え、年の瀬を迎えると、 身の周りを整えてさっぱり、また、やり残したことをキレイに片付けて新しい年を迎える気持ちになります。そして、どうしても間に合わないことには一つの区切りをつけます。時の節目というのは大 Continue Reading →

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