「父に受け入れられたい」第二サムエル14:1-24

 「何もしなければ無能な父親だと思われ、一生懸命何かすれば、邪魔者のように言われる。いなくては困るし、居すぎてもいやがられる。」父子との関係は難しいものです。母子一体という言葉はありますが、父子一体とういう言葉はありません。あるとすれば、父の叶わなかった夢を息子に押しつけるような不健全な関係です。

 さて、ダビデの息子たちの間に悩ましい争いの結果の兄弟殺しが起こります。アムノンが異母兄弟アブシャロムの妹タマルに恋を煩い、策略をめぐらして犯したのです。ダビデは怒りを覚えながら何もしない。アブシャロムは憎しみを内に秘め、二年後に酔ったアムノンを殺し、逃亡生活を余儀なくされます。ダビデは息子のことでありながら関わることから逃げ、先延ばしにします。父親はしばしばそうです。細かいことは任せたと言って責任から逃げ、その心を理解せずに、行動や見えるところでしか物事を見ようとはしませんん。そんな弱さを持っているのです。

 ヨアブをして使わされたのがテコアの女。人のことならわかるのに、自分のことがわからない愚かしさ。ダビデはズバリ言われて初めて気づくのです。ダビデはアブシャロムをエルサレムに連れ戻しはするのですが、「私の顔を見ることはならぬ」と距離を置いたまま。それゆえ、この後、アブシャロムはダビデに逆らって謀反を企てます。

 本当は父に受け入れられたいと思っているけれど、人に流れる罪の連鎖は屈折してかないません。一方で「ひとり子をお遣わしになったほど世を愛された」真の天の父は「これは私の愛する子、私はこれを喜ぶ」と言われました。私たちがこの天の父の元に帰るととき、正しい位置に身を置き、父子の間に赦しと回復と愛が与えられるのです。

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