ユダヤ会堂でのパウロの説教は、旧約聖書にあるユダヤの歴史から約束の救い主へと移ります。救い主イエスの噂はここにも届いていたことでしょう。パウロはバプテスマのヨハネの悔い改めへの招き、イエスの死と復活へと話しを導きます。そして、この方によって罪の赦しが述べられていると語るのです。
私たち人間にとって、救いとは罪の赦しです。マタイ9章には中風の人にイエスが「あなたの罪は赦された」と語られた話がでてきます。律法学者たちはつぶやきました。しかし、イエスは罪を赦す権威を持っておられることをあらわすためにと、「起きて寝床をたたんで歩け」と言われました。私たちの多くは、「起きて寝床をたたんで歩くこと」、目の前の解決を求めます。あなたが願う祈りを思い浮かべてみて下さい。そこには、神のくださる恵みを受けとろうとすることよりも自らの願いを祈ってはいないでしょうか。
パウロは律法によって解決できなかったすべての点から解放されると語りました。それは別の言い方をするならば、私たち人の努力によって救うあり方です。しかし、律法が教えるのは、私たちが徹底してどこまでも罪人であり、自らを救えない哀れなものであるということです。
ペンテコステの日、このできごとは神の霊が注がれて「年寄りは夢を見、若い男は幻を見る」ことだとペテロは語りました。人の問題は人の努力によっては解決しません。主が与えてくださる赦しの恵み。それが、私たちの心を新しく造り替えられるとき、私たちは神が見せてくださる夢と幻という希望をもって生きることができるのです。今、様々噴き出す人の問題、それはイエスによって与えられる罪の赦しによってのみ救いの道が開かれているのです。この方に救いあり!