「間一髪!その時何が?」使徒23:11-35

 パウロ、絶体絶命のピンチです!暗殺が図られたのです。40人以上が「パウロを殺すまで飲み食いしない」と誓い合うほどでした。しかし、その陰謀は漏れ、パウロの姉妹の子からパウロへ、パウロから百人隊長、千人隊長へと伝えられ、間一髪阻止されます。それでも「今夜九時・・・」と秘密裏に準備された護送の緊迫感たるや、手に汗握るような救出劇です。

 パウロの思いはどうだったでしょう。「だれかが弱くて、私が弱くない、ということがあるでしょうか」(2コリント11:29)と言うように、動揺や恐れがないわけではなかったでしょう。私たちはもうダメだ!と思うようなところを通ることがあります。この出来事は困難の中にあって、主がどのように助けと導きを与えられるのかを示しています。

 イエスは復活し、昇天する前に「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています」(マタイ28:18)と約束を与えられました。そう一切、全てです。「それを信じるか」と主は問われるのです。残念ながら私たち人間は、ぎりぎりの経験を通らなければ真に問うことをしません。自分の力でどうにかしてしまうのです。

 旧約聖書の人物もみな同じような試みを通りました。ヤコブは兄に殺されそうになり、モーセは主が殺そうとします。ダビデはサウロに命を狙われ、ダニエルたちは燃える炉、獅子の穴に投げ込まれます。エステルの時代にはユダヤ人皆殺し計画が寸でのところでエステルの信仰と勇気で食い止められます。「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。・・・試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」(1コリント10:13)というみことばと一切の権威を持つお方への信仰を励ましとしましょう。

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