牧師の信仰入門XVII イエスの復活(2)〜復活の意味〜

「しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」1コリント15:57-58

 人にとっての最後の敵は死です。人は死の恐れに縛られています。不老不死は古くから人類の憧れです。「元気で長生きしてください」とは、子供がお年寄りにかけることばですが、どこかで意識の中に、それが理想の姿だと多くの人の心の中にあるのでしょう。どう老後を過ごすかは考えますが、それも生きているうちのこと。死の現実は、先延ばしにされます。そして、いざ余命宣告がなされるような時になって、はじめてどう整理をつけようかと考え始めるのです。

 私たち人間には生まれてくる日も死ぬ時も、どこでどの親から生まれるかも決めることなどできません。中世の修道院では、「メメント・モリ(死を覚えよ)」という言葉があいさつとして言い交わされたといいます。それは、どこから来てどこへ行くのか。やがて来るべきその時について彼らが希望を持っていたからです。だからこそ、許されて生きている日、一日一日に意味があり、一日一日に使命がある。そのように生きる姿勢を正し、喜びをもって生きたのです。

 主イエスの復活は人の定めである「罪と死」に対する勝利です。罪と死は最初の人アダムから、世界を支配してきました。営々脈々と流れてきた罪の連鎖、罪の縄目に縛られてきた世界、罪ゆえにさばかれ、滅ぼされなければならない世界、暗闇の支配者であるサタンに対する勝利です。

 人はどんなに努力しても自らを救い得ません。しかし、罪なき神の子イエスがそのすべての罪をその身に背負って、身代わりの十字架にいのちを捨ててくださった。そして、神のさばきを受けてくださった。もし、そこまでであったとしたら、それはただ人に寄り添ってくださったというだけに過ぎません。

 しかし、裁かれて終わりではなく、よみがえってくださったのです。それは、死で分断された望みなき世界から、人の常識を打ち破って希望を与える勝利なのです。

 その勝利は、私たちに神がなしてくださるみわざを信じる信仰を与え、「決してあきらめることなく、やり直せる」という希望を与えてくれます。過去はキリストと共に葬り去られ、キリストのよみがえりによって新しいいのちを与えられました。キリストが死と絶望を乗り越えて勝利されたならば、同じ神が私の歩みを新しく導いてくださると信じるのです。

 あなたの過去がどんなに罪深いものであったとしても、自分を責め、赦されることなど決してないと思っていたとしても、つらい、痛みに満ちた経験を通ってきたとしても、誰をも何をも信じられない不信に覆われていたとしても、キリストはよみがえられたのです。このお方にできないことなど何一つありません。復活のイエスは「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています」(マタイ28:18)と言われました。罪と死に勝利した神であるイエスにはどんなことでもおできになるのです。だから、私たちは信仰をもって期待するのです。

 また、キリストの死は、信じる者が同じようによみがえる保証を私たちに与えます。私たちは誰しも肉体の死を迎えます。しかし、肉体の死は終わりではなく、主イエスを信じる者は誰でも天の御国に迎え入れられるのです。イエスご自身が弟子たちにお約束くださいました。「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。・・・あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」(ヨハネ14:2-3)そのことをパウロは後に「主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです」(1テサロニケ5:10)と語りました。もはや死は一つの通過点であって、死を乗り越えて永遠のいのちによみがえらされるのです。

 迎えられる天の御国のことについては改めて学びますが、全能の神がお与えくださる約束を信じるならば、恐れる必要など全くないのです。

 ヨハネの福音書の3章にはニコデモという老年のユダヤ人指導者がイエスを訪ねたことが記されています。イエスは彼に「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」と語りました。どのようにして?と訊ねる彼にイエスは御霊によってと語ります。生まれながらの人間は罪ゆえに自分だけしか信じることができません。しかし、心開いてイエスのみわざを信じるなら、死に勝利したキリストによって希望を持って生きることができるのです。